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「800字文学館」

認知症の疑似体験

大津 隆文

 去る四月十四日は母の百二歳の誕生日で、多分今回が最後になるだろうからと、私達子供四人は夫婦で母の入居している老人ホームに集まることとした。昼食のお寿司や飲み物を持って行くのを手伝うため、当日十時過ぎに娘夫妻が車でわが家へ迎えに来てくれた。

 ところがその頃から私に異変が生じて放心状態となり「今日は一体何をするのかね」と言ったりしていたそうだ。実際、その後三~四時間の記憶が自分にはほとんど残っていない。

 後から聞くと、日曜日だったので娘が救急センター等あちこちに電話をかけ、脳神経外科医の出ている病院を探して連れて行ってくれた。その間、「らりるれろ」と言えるかどうかを確かめられたりしたらしいが全く覚えていない。

 先生から診察を受ける頃には少し意識も戻ってきたが「今日は何月何日ですか」「朝ご飯は何を食べましたか」と聞かれてもすぐには答えられなくてもどかしかった。 MRI検査の結果幸い脳には異常はなく、先生のお見立ては「一過性全健忘」で、この病気の原因は不明とのことだった。脳梗塞の心配をしていた家内はホッとしたそうだ。

 最近の認知症患者増加の背景には、医学の急速な発展等により肉体の耐用年数は大幅に伸びているのに精神のそれはあまり伸びていないというギャップがあると思っていたが、いよいよそれが自分の身に出てきたことを実感した。

 他方で救われた思いもした。一つは自分の感情を全く覚えていないことだ。つまり将来痴呆状態になっても恥かしい、情けないという自意識に悩まされることはなさそうだ。

 もう一つは自分が幼児のように従順であったと聞いたことだ。認知症になると、今は理性でなんとか抑制している攻撃的で粗野な本性が露見するのではないかと心配していたが、まずは大丈夫そうだ。

 今回は家族がすぐ傍にいてくれたから助かったが、一人で外出中だったら大変だ。数年前親切な先輩からもらった「オトナの迷子札」の出番が来たようだ。

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