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「800字文学館」

下町クルージング

安藤 晃二

 あの日本橋、実に優雅でレトロな装飾も心憎い。しかし、橋上を押し潰さんばかりの首都高速に覆われた姿は無残である。

 所属する業界クラブから、「江戸下町クルージング」に招ばれ、千切れ雲の青空と若葉を愛でる五月、半信半疑で参加した。日本橋の袂の発着場に、朝十時、既に40名程の人々が集まっている。この行事は、もしかすると「当たり」かな。

 動き出したクルーザーには屋根がない。それ故に、日本橋川に架かる無数の橋の複雑な鉄骨構造や高速道を支える橋脚が眼前に迫り、得も言われぬ景色の迫力がある。夏の陽射しが、略完全に覆われた水路を行くことは、清涼感に満ちて、川風により運ばれる藻の香りや、水しぶきを感じてパーカーを重ねると、舟遊び態勢は完璧である。滑り出しの常盤橋辺で日銀が見え、鎌倉橋、一ツ橋、新川橋等々聞き慣れた地理を進む。日本橋川は物の見事に隠された江戸城の外堀である。金沢や仙台を始め雄藩により、幕府開闢の頃建設され、当時のままの石垣を見ることが出来る。何十と存在した木戸跡、水門跡、ブラックホールを想わせる暗渠の入口、見る人の想像力を刺激して余りある。
 東京ドームの小石川橋のTジャンクションで神田川に右折する。頭上の高速道が消え、輝く若葉を両岸に擁する、隅田川手前の柳橋までの一直線となる。何十年間通勤で通ったお茶の水駅周辺をカバーして「下から見上げる」新発見は魅力溢れるものであった。ニコライ堂、聖橋、万世橋の旧交通博物館と「肉の万世」が見えただけで嬌声が上がる。皆クルーズに取り込まれている。折しも新幹線、中央線、総武線に加え、真っ赤な丸の内線の新車両が同時に交錯するや、またもやご婦人連の黄色い声。

 隅田川に入り、船は揺れる。遠景の清州橋と永代橋は全身を布様のものに包まれている。はて、オリンピック用化粧直しの最中の由。日本橋に戻り、橋の隣の会席昼食へ。「令和」なる冷酒で乾杯、イベントは「大当たり」であった。

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