作品の閲覧

「800字文学館」

寒かった昔の下駄スケート

志村 良知

 私程度の年齢でも昔は寒かったと思う。
 生家の北にある武田家遺構の新府城址には西堀と東堀という二つの堀がある。長さ50m、幅10m程の西堀は城址の北斜面の麓のほとんど日が当らない寒い場所にあり、早い年は12月の内に人が乗れる厚さの氷が張った。
 零下7~8度の日が続くと固く締まった「油氷」になりスケートができた。履くのは下駄スケートである。専用の細身の下駄にスピード用のエッジをネジ止めしたもので、長い真田紐で足袋を履いた足に括りつける。紐の通し方には決まりがあり、痛くなく緩まないためには決まった手順でかつ熟練が要った。

 6歳上の長兄の頃のエッジは鉄板を切り出した単なる板だったが、私の頃にはパイプでガードした競技用と変わらないスチールエッジのものが登場し、「パイプ」と呼んで憧れた。靴スケートは私が中学卒業まで仲間内では履いている奴は皆無だった。
 都会風のよそ者の女の子が白いフィギュア用の靴を履いて西堀に立った時は注目の的になったが、滑るというよりヨチヨチ歩きの邪魔になるだけで、たちまち下駄スケートの悪童たちの興味と羨望の目を失った。同様飼い主に付いて来て氷の上に乗ってしまった犬も邪魔である。つるつるで固い油氷の上ではまとも立っていられず、突然バランスを崩す。流石に横転したりはしないが予期しない方向にズルッと滑りだす犬は滑稽でもあり危険でもあった。

 細長い西堀では滑りは直線往復のみであったが、城址の東側にある東堀は直径が50mあまりの円形で、これが凍ると周回が出来た。しかし、東堀は日が当たるので状態が良いのは2~3週間だけ、この間に西堀では無用のテクニックであるクロス(これを千鳥と呼んだ)の習得と高速周回に夢中になった。
 長じて学生時代、友人たちとあちこちのスケート場に行ったが、フィギュアやホッケーの靴を借りて人混みをチマチマ縫うスケートは、女の子と手を繋げられること以外は全然面白くなかった。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧