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「800字文学館」

祭祀王と執政王

首藤 静夫

 今上陛下が御存命中に皇太子殿下に譲位されるという画期的な年である。
 そこで天皇の起源を調べてみた。
 天皇という名称は、わが国開闢以来と思っていたら、さにあらず、古くは大王だったようだ。天皇の呼称になったのは7世紀後半というのが学者の見解だ。
 天皇(古くは大王)の役割であるが、これには2種類の立場があったという。まず、祭祀を司る最高の権威者。これを「あまつひつぎしろしめすおおきみ」という。もう一つは、政治・行政など天下の政を司る最高権力者。これを「あめのしたしろしめすおおきみ」という。魏志倭人伝に伝わるあの卑弥呼は祭祀王、彼女の男弟が執政王と考えれば分かり易い。そして、日本書紀は祭祀王中心に、古事記は執政王中心に描かれているという。祭政二元体制だったようだ。これが通説かどうかまでは知らないが、分かり易い考えではある。
 しかし、最高権威者と最高権力者の関係は微妙だったに違いない。元気のいい天皇は納まりきらず、両方を手中にしたようだ。雄略天皇(5世紀)や後醍醐天皇(14世紀)などがその例だろう。
記紀に登場する歴代天皇の系譜が分かりにくいのは、この祭祀王と執政王が入り組んでいるためだ。両方とも天皇である、また執政王が高齢を理由に祭祀王に鞍替えした例もあるそうだ。加えて二元体制の時代と一元集中体制の時代がある。
 さらに、時の為政者の都合に合わせて脚色される。これらをすべて合体させ、つなぎ合わせたのが『古事記』『日本書紀』に残る系譜である。大変な苦心の産物だったわけだ。
平安朝以降になると、一部を除き、天皇は祭祀王に特化して今日まで続いている。執政王は、さしずめ藤原氏であり、平氏、源氏、北条氏・・・・・・、徳川氏、明治以降の政府であろうか。
 今上陛下が国民に寄り添われ、痛々しいまでの全国巡幸をなされたのは、祭祀王としてのお姿といえる。
 新しい天皇が新時代の祭祀王として、いかなるお姿を示されるか楽しみである。

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