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「800字文学館」

帰ってみれば、こはいかに

志村 良知

 故郷の田舎では縁深い並び三軒持ち回りで先祖供養の合同法事を行っている。今年は兄の当番で誘われて参加した。
 墓参りの後、老若男女揃っての読経。和尚さんの法話で、三軒12人の先々代、先代の名前と命日が告げられ、それぞれの顔が声が浮かぶ。50年前私が故郷を離れた時にはその内10人が存命だった。
 食事会では三軒の当主、和尚さん、私は歳がさして違わないので共通の思い出話に花が咲く。お開きになり家に帰って一段落すると、兄がピアノを弾くと言い出した。兄とは昔ギターの二重奏をしたことがあるが、ピアノが弾けるとは知らなかったので半ば冗談と思っていたら、これが聴かせる。ギターの名曲を自分で編曲したという何曲かも新鮮であった。酔っ払いの大仰な激賞に義姉と家内が大笑いする。

 爆睡して朝、一瞬どこなのか分からなかったが外は既に明るい。一人で散歩に出た。寒い。帰省したのは3年ぶりだし、家の周りを歩くのは覚えてない位久しぶりで何もかもが目新しい。並び10軒で50年前と同じ家に住んでいるのは1軒もない。「元いた家も村もなく」である。大きなきれいな家が並び、広々とした庭には田舎の定番軽トラの他に最低2台、多い家には4台くらい乗用車があり、外車もちらほら。
 家並みを外れると50年前はただただ桑畑、その後は荒れ畑だったところが一面の野菜畑で、キャベツ、レタス、大根などが遮るものもなく広がっている。
 驚いていると犬を連れた知らない顔の女性が来た。お互い名乗りどの家の誰なのか確認し合う。聞けばこの地には猪、鹿、猿などがいないので安全、と長野県の大規模農業法人が借り上げており、大型農業機械を投入して耕作しているのだという。

 「怖い蟹」はいないが、何もかも「此は如何に」である。浦島は何百年か不在だったらしいが、現代ならその位の変化は50年で十分だな、と思いつつ歩いていると、野菜畑の中を見慣れた姿が歩いて来る。あっ、ウチのオクさんだ。

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