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「800字文学館」

『秋山紀行』から(2) 小赤沢

大月 和彦

 鈴木牧之は、文政年間の秋のある日小赤沢村に入った。28軒あり、秋山郷最大の集落である。  福原市右衛門宅に宿を頼む。建て直したばかりというこの家は、広さが六間・四間ぐらい。茅葺きで、この辺では珍しい壁塗りの家だった。
 うちにはコメがない、アワ飯でよければという。米も味噌も持参したので寝場所だけでいいといって中に入る。
 古筵が垂れ下がった入り口、内部には筵が敷かれ、大きないろりがあった。上部に吊り下げられた火棚にはアワの穂が山のように積まれていた。細く割ったヒメコマツの枯れ木に火をつけた灯りは20匁の蝋燭のように明るい。
 夕食には大根と里芋を刻んだのが入った味噌汁。豆腐は浸した大豆を挽いたのをそのまま固めたもので熱湯に浸して食べる。

 福原家の女性を観察する。
「この家に婦人三たり見え、…つらつら婦女共の俤を見るに、髪は結へども、油も附けず。いかにも裾短き*ブウトウと云ふを着、或、其うへに網ぎぬと云ふ袖なしをも着、如之、帯様のものも綻び是に順ず。実にや玉簾の内に育ちし王后も、貌に醜あり。譬薦垂の中に生まれても艶ある諺の如く、二人の婦人は里にも稀なる面ざしにして…」とほめたたえている。

 牧之は主人に、うわさに聞いていた黒駒太子の掛け軸を見せてほしいと頼む。
冬の間孤立するこの村では、死者が出ても里に移すことも里から僧侶を招くこともできない。古くから伝わる聖徳太子を描いた掛け軸「黒駒太子」を死者の上で2,3回かざし、これを引導として葬る風習が行われていた。
 村の人にも見せないので外部の人には見せることができないと断られる。

 牧之が泊った福原家の建物は移転修復され保存民家として公開されている。茅葺きで中門造り。戸と窓がない。当時の農具や家具などが展示されている。黒駒太子の掛け軸は、集落の中心に建てられた黒駒太師堂に納められている。長い間秘蔵品扱いだったが最近になって盆と正月には一般に公開されているという。

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