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「800字文学館」

「羅生門」を再見して

藤原 道夫

 映画「羅生門」や「七人の侍」の脚本を手がけた橋本忍氏が今年7月100歳で亡くなられた。氏を偲んで8月に「羅生門」がTVで放映された際に食い入るようにみて、物語そのもの、俳優たちの熱演、映像の技術に感動した。さらに後日DVDを大型スクリーンでみる機会ももった。
 「羅生門」は昭和25年8月に公開された。翌年にヴェネツィア国際映画祭に出展され、最優秀作品に与えられる金獅子賞を獲得した。これにより日本映画は世界に知られ、黒澤明監督と主演の三船敏郎の名は一躍脚光を浴びるところとなる。
 この映画を初めてみたのはいつだったか、とんと記憶にない。覚えているのは、三船敏郎がやたらにわめきながら暴れていたことのみ。

 はなしは戦乱、疫病、天災により人心が乱れきった平安時代の京でのこと。崩れかかった羅生門に雨がかかる。その下で杣売り(志村喬)が山で侍(森雅之)の死骸を発見し、検非違使に出頭してみたことを報告してきたと旅法師(千秋実)らにはなす。
 下手人としてまず盗賊の多襄丸(三船敏郎)が挙げられ、侍と妻に出遭った後に起こったことを語る。侍に同行していた妻の真砂(京マチ子)も身の上におこったことをはなす。さらに霊媒が死んだ侍をよびおこして死にいたるいきさつを証言させる。三人の言い分が食い違い、事件の真相は闇のなか。実は杣売りが全てを目撃していたのだが、侍の刀と妻の担当とを奪っていたために真相を語らない。
 映画の最後の場面も象徴的だ。羅生門に捨て子、すぐに着物をはぎ取る者(下人)もいれば、育てるという者(杣売り)もいる。混沌として不条理な生と死、欺瞞に満ちた人間の生き様、その中から新たな命が育つ。人間の営みは形を変えながら今に続いている!

 年をとる利点の一つは、若い時には分からなかったことが、再度出会った時に分かるようになっていること。映画「羅生門」で体験したようなことを旅や読書・音楽で経験することがある。また楽しからずや。

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