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「800字文学館」

私の英語修行

志村 良知

 実験室での第一歩から関与し、数十億円の投資をしていた新規事業が奮わず存亡の危機となった。緊急の売上拡大が望めるのは工業化が進んだ欧州市場ということで、拠点のあるフランスの子会社に赴任した。言葉は現地調達である。しかし、日本語しか話せないとも言っておられない。フランス語はだめだが英語は話せるということにした。

 部下は英語ができることが条件で雇われていて職場の公用言語は英語だった。秘書さんは英国に英語留学して磨いたきれいな英語を話した。一人アイルランド人の女性がいて、彼女らに文法や言い回しを習い、ビジネスレターはアメリカの大学出の日本人同僚に相談した。

 幸いにもヨーロッパでは英語ネイティブは島国だけ、大陸ではさまざまな英語が話されている。相手が話し始めてかなり経ってから「あ、これ英語だ」と気付くような凄い英語もある。要は喋ったもん勝ちである。
 体験的に北欧、ベネルクス、スイスなら駅で切符が買えるしタクシー運転手や店員も話せることが多い。スペイン、イタリア、フランス、ドイツのような大国ではビジネスマンでも話せない人がいるし、駅員、タクシー運転手は勿論、ホテルも小さい所は駄目で、町中では通じないと思った方が良い。フランス人は話せても話さないと言われるが、それはある特定の階級で一般市民は話せないから話さないのだと思う。
 ビジネスでは決まったパターンが多いので慣れるが、飯食いながら雑談となると食うか喋るかどっちかにしてくれである。こちらの話題にテーブルの全員が食いついてしまった時などフォークの手が固まる。
 数年経って英国の顧客に「お前は英語もフランス人みたいになってきたな」と言われるようになった。フランス訛りの英語というのはフラットで柔らかく、特に女性が話すと英国人中年男性は耳を擽られる思いがするらしい。日々職場のフランス人とやりとりし、女性に細部を確認していた私の英語は相当柔らかくなっていたらしい。

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