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「800字文学館」

イタリアの思い出

安藤 晃二

 我が家の食卓の、鰈のムニエルから遠い昔のイタリアを思い出す。ジェノアの海鮮リストランテのディナーは、鰈どころか舌平目だ。メニューには、特別に英語で「ドーバーソル」とある。欧米では何処でも決まり文句の「ドーバーソル」だ。美味に響かせ、ドーバー海峡産を強調するが、大体ノルウェー産である。

 グリルで焼き上がりの魚を見せ、ウェイターが訊く。「骨付き?」、「骨抜き?」この翻訳はまずい。”Off the bone?”のことだ。あの小骨には敵わない、「骨取り」を求める。ものの二三分で、如何なる骨とも無縁の見事な舌平目が現れる。パスタを少しと、注文する。心得たもので、小皿に盛られた実に細いスパゲッティは髪の毛を連想する。トスカーナのワインと共に、忘れられないディナーを堪能した。

 実はこの旅は、頭の痛い仕事だった。破産法管理下で、不良債権となった資材納入先の造船所の視察である。解決のあてがないので会話も暗い。担当のミラノ駐在員O氏の世話になり、幾多のトンネルが貫き南へ一直線となる弾丸道路をミラノから四時間もかけ、最も適切な車Mercedesで突っ走り、ジェノアにやって来た。
 出発直後ミラノ市内で車を止め、「折角来たのですから、十分だけ観光を」。とある大きな教会に入る。誰も居ない薄暗いホールに陽が射し込み、横長の壁画を認識する。食卓の中央にキリスト、そして十二人の弟子達。「如何です?」O氏は、まるで切り札でも切る体でにんまりする。「驚いたね」僕も、このダビンチの絵画が本物かなどと野暮は言わずに微笑みを返す。
 高速道でパルマを通り、パンとハムの昼食を取る。O氏によると「パルマに来ると、運転手は何時もハムを二人前も食べる、まったく」。パルマハムはイタリア人にとっても「堪えられない」ものなのだろう。

 イタリア、「バイロンやチャイコフスキーを気取って」、と言えばおこがましいが、望むらくは未踏の名所を趣くままに訪ね、また思わぬ出会いを見つけたい。

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