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「800字文学館」

日生劇場の「ドン・ジョヴァンニ」

川口 ひろ子

 日生劇場モーツァルト・シリーズの第2弾は「ドン・ジョヴァンニ」、7月2日藤原歌劇団による公演を聴いた。

 演出はベテランの岩田宗達。時代は近現代、直線で構成された重厚で上品な舞台だ。中央に巨大な白い布の塊が置かれている。モクモクと膨らんで入道雲になるかと思うと平らに伸ばされて舞台を覆う大きな幕となり,またある時は「ドン」に捨てられた2065人の女性の名前が書かれたカタログ帳にもなる。この布はいったい何なのだ?

 岩田氏はプログラムの中で語る。このオペラは「ドン」の存在を通して浮かび上がる善と悪、希望と絶望、美と醜、多くの矛盾を抱えて生きる人間の姿を描き出している。登場人物は皆、強烈な個性を持つ「ドン」に出会うことで心を乱し、どう生きるかを自分自身で考えなくてはならない。凄まじい変化が日常的に押し寄せる現代に暮らす私たちも彼らと同様だ。これは、見えない「ドン」に翻弄され生き方の選択を迫られて悩んでいる私たちの姿なのだ。

 今日、モーツァルト演奏は簡素なドイツ奏法でという決まりがあるが、今回、藤原歌劇団は元テノール歌手のジュゼッペ・サッバティーニを指揮者に迎え、イタリア奏法のモーツァルトを披露してくれた。しかしこれはまるで30年前のオペラだ。緩いテンポは指揮者の好みなのか、オーケストラの非力の為なのかは解らないが、退屈な演奏に失望した。

 歌手では、テノールの中井亮一が、甘くて清潔感あふれる声、若々しい演技で素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。舞台中央で両足を踏ん張ってたっぷりと歌う。大先輩サッバティーニの特訓を受けたのかもしれない。ソプラノの佐藤康子は、愛憎交々、揺れる心の内を声で演技して真に結構、大喝采を浴びていた。

 難解ではあるが説得力のある演出に対して、声量不足で存在感の薄い主役のイタリア人バリトン、締まりのないオーケストラ。日生第2弾は、私にとって音楽面で多いばらつきが満足できない公演であった。

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