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「800字文学館」

空港のにおい

大森 海太

 その昔、初めてニューヨークの飛行場に着いたとき、今までにない何とも言えぬ或るにおいを感じた。ホテルに入っても似たようなにおい、香水と黒人の体臭とサムシングが混じった「アメリカのにおい」とでもいうのか。その後いろんな国を訪れたが、空港に降りたとたん、その地特有のにおいがしたものである。ジャカルタでは強烈な丁子煙草のにおい、台北では独特の饐えたようなにおい、ソウルではもちろんニンニクのにおい、そのほかヨーロッパ、中東、アフリカ、南米、東南アジア等々、さまざまな空港で、それぞれなにか違うにおい、と言うか地面の湿気や空気の密度、あるいは漂うチリなどが複合した一種のアトモスフェアを嗅ぎとるのであった。

 それにつけて思い出すのは往年の名画「望郷」。ジャン・ギャバン扮するカスバのボス、ペペルモコが、パリから来た美女ギャビーに惚れて身を亡ぼす話であるが、嫉妬したペペの情婦が「あんな女のどこがいいのさ」と毒づいたのに対し「パリの地下鉄のにおいがする」とこたえる場面、いやあ映画ってホントにいいですね。

 ところが最近は世の中が清潔になってきたのか、中性化、無個性化が進んできたのか、はたまた加齢で鼻が衰えたせいか、どこへ行っても「あ、このにおいだ!」という感動が乏しくなってきた。食べものにしても、においの少ないニンニクや納豆が開発されているとか、実に嘆かわしいことで、私の好きなクサヤとか鮒ずし、腐乳、ブルーチーズ、ドリアンなどは、この調子だと将来なくなってしまうのではないか心配である。

 文明の進化とともに人間の五感、とくに嗅覚は退化する一方で、麻薬や遺体の発見にはワンちゃんのお世話になるていたらく。人は皆スマホにのめりこんで片時も離そうとせず、外部との接触を絶って画像とイヤフォンの世界に浸り切っているようだが、目の前にあるものを見る、聞く、手に触れる、とりわけにおいを嗅いでみるという感性は大切にしたいものである。

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