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「800字文学館」

「小判」を増やせ

野瀬 隆平

 五代将軍綱吉の頃の話です。荻原重秀という人物がいました。
 重秀は勘定方に勤める下級武士でしたが、あるきっかけで取り立てられるようになりました。検地です。太閤検地以来ずっとなされていなかった近畿地方で、税収を上げるため検地をすることになりました。指揮をとったのが重秀です。隣同士の豪族にお互いに隣の領地を調べさせたのです。ごまかせないように耕作地を見つける方法です。その業績により、勘定吟味役となりました。
 さて、このあと何をしたのかが主題です。

 当時、佐渡金山から産出される金の量が減少し始め、それに従い新たに鋳造できる金貨の量も少なくなってきました。綱吉による色々と金のかかる政策もあり、幕府は深刻な財政難に陥っていたのです。
 佐渡奉行となった重秀は、金山での生産増強に努めると共に、財政難を克服するためにあることを思いつき、決行しました。
 貨幣の「改鋳」です。それまで小判に含まれていた金の量を84%から57%に減らし、幕府が発行する貨幣の量を増やしたのです。その増額分で幕府は、財政の危機を回避することができました。
 当然、批判的な意見をいう者もいました。その代表格が新井白石です。厳しい倫理観を持つ白石は、貨幣は虚業である商業にからむものであり、農業を中心とする実業を重んじなければいけないとし、将軍家宣に弾劾書を出して、重秀の追い落としを計りました。
 物価の高騰を危惧する人もいました。しかし、物価はそれほど上昇しませんでした。改鋳後のコメの値段から推定して、上昇率はおよそ年率3%位と思われます。今日の経済で、理想といわれているインフレ率と奇しくも一致します。
 物価の上昇で損をしたのは、お金をため込んでいた商人や大金持ちでした。その意味で多少とも格差の解消にも役立ったといえます。
 この改鋳に関して、重秀はこんな言葉を残しています。
「貨幣は国家が造る所。瓦礫を以てこれに代えるといえども、まさに行うべし」

参考図書 『勘定奉行荻原重秀の生涯』 村井淳志著 2007年出版

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