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「800字文学館」

劉暁波伝

稲宮 健一

 新聞の書評で見た劉暁波伝を読んだ。近代中国を知るのに良い参考になった。彼は一九五五年吉林省生まれ。ノーベル平和賞を受賞したが出国できず、本人のいない式の映像は昨日のように思える。
 文革後、七七年に統一大学入学試験が再開され、劉は七八年吉林大学に合格し中国語文学を学び、多くの著名な教授に囲まれる幸運を得た。八八年にオスロ大学に招聘され、中国現代文学の講師を担当した。当時は趙紫陽らの改革派の影響もあり、容易に出国できた。オスロは魅力的ではなかったが、この後ハワイ大学に招かれ、アジヤ太平洋学院中国研究センターで活発な研究活動を行い、八九年にコロンビア大学に招聘され、ニューヨークで自由な雰囲気に浸った。

 八九年四月、鄧小平らによって事実上総書記を解任された改革派の胡耀邦が死去し、翌十六日から市民による改革を求めるデモが発生。葬儀が二十二日人民大会堂で行われ後からデモが続いた。この騒乱の中、劉は当日帰国し、この火中で自由化の運動に身を置き、六月四日の所謂天安門事件に深く関与した。直後の六日に身柄を拘束された。この時の活動を人生で最も意義の深い日々だったと回顧している。

 彼の主張は〇八憲章(二〇〇八年作成)に盛り込まれ、この憲章は近代国家の理念に基づく宣言で普遍的な内容だ。なぜ、中国政府がこれを抑圧の対象にするのか。日本では人の上に天があり、古くは敬天愛人、天は人の上に人を造らず、人に下に人を造らず。また、中江兆民の自由民権運動など、維新の頃より天と人、聖と俗の二元的な考え方があった。しかし、中国では皇帝は龍であり、龍は天から支配するである。権力が総てを支配する歴史的背景が染み付いている。共産党政権だけでなく、台湾に渡った後の蒋介石政権も強権政治を行った。さらに、明を滅ぼした李自成の故事からも、人民の蜂起に著しい警戒感が消えないのかもしれない。強権支配は中華文明のなせる業かも知れない。

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