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「800字文学館」

トガクシショウマ―破門草―

大月 和彦

 ミズバショウで知られる信州の戸隠高原に、戸隠を代表する植物トガクシショウマがある。戸隠で最初に採集されたので、トガクシショウマと付けられ、日本人が初めて学名を付けた植物としても知られている。かつては戸隠高原のいたるところで見られたが今はすっかり姿を消してしまった。環境省のレッドブックデータの絶滅危惧Ⅱ(絶滅の危険性が高まっている危急種)に指定され、一部の民家の庭か奥社にある戸隠森林植物園でしか見られない。

 戸隠神社の知り合いの宿坊の庭先にトガクシショウマが生えている。明治時代に植えたものらしい。日当たりがよくない栂の木の根元に数株だけかろうじて生き延びている感じだ。実生から育てられた苗木を買って庭先に植えてみるが枯れてしまうという。
 毎年5月末小さな淡い紫の花を付ける。頼りなさそうな花は一週間ばかりで散ってしまうが、花が散ると葉と茎がどんどん伸びる。葉の形が一枚一枚同じでないのも面白い。
 今年は例年より早く5月の連休前に花をつけたという。

トガクシショウマ(トガクシソウ)めぎ科、トガクシソウ属、Ranzania japonica T・Ito ― 「深山の木陰に生える多年草。地下茎。丈夫な根を出す。茎は高さ30㎝内外。葉は2個、茎の上部に対生し、花後にのびる。少葉は円心形またはゆがんだ円心形で幅7~10㎝、長さ12~15㎝不揃いに浅裂。花は6月に3~5個。散形状にでて下向きに咲く。分布、本州(中部及び北部)。本邦の特産属である。」(原色日本植物図鑑―保育社)

 学名後尾のT・Itoは、東大植物学教室に出入りしていた植物学者伊藤篤太郎(1865~1941)の名前だ。伊藤の叔父が戸隠山で採集したこの植物を英国の植物学雑誌に自分の名で発表したのでこの名がつけられた。一方同じころ東大の矢田部良吉教授(1851~1899)も戸隠山で採集したこの植物が新属であると考え、発表の手続きを進めていたが伊藤に先を越されてしまった。矢田部は伊藤を教室への出入りを禁止したという逸話があり、この植物は「破門草」とも呼ばれていた。

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