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「800字文学館」

『女は二度決断する』の「無」

野瀬 隆平

『女は二度決断する』というドイツの映画を観た。
 友人から、この映画のドイツ語の原題が “Aus dem Nichts” となっているがどういう意味だろうかと尋ねられていた。直訳すれば「何も無いところから」となるが、日本語のタイトルと全く異なるのが気になる。

 主人公はカティヤというドイツ人女性。トルコからの移民である男性と結婚して、息子も生まれ幸せな生活を送っていた。しかし、ある日のこと、夫の事務所の前で爆弾が爆発して最愛の夫と息子を一瞬にして無くす。そこから主人公の生活は一変して波乱に満ちたものとなる。
 人種差別、テロ、推定無罪、私刑などがテーマであるのは明らかであるが、ではなぜドイツ語の題が「何も無い……」となるのかは、すぐには理解できない。

 観終わってよく考えてみると、その答えは映画の冒頭にあったようだ。
 主人公のカティヤが過去を回想するシーンである。結婚相手の男と出会うまでは、カティヤの目の前に彼は存在していなかった。ましてや、二人の間に生まれる息子はこの世には無かった。要するに、カティヤにとっては、 “Nichts”「無」であったことを示唆しているのではないか。
 更に留意すべきは、本編が終ってクレジットが延々と続いているときに、バックに流れていた「歌」である。途中で気付いたので、残念ながら歌詞の内容を完全に読み取れなかったが、
「―いつかは分からないが、安らぎのあるその地にいずれ行くので―」
という意味の文句があった。
 人間は生まれる前の「無」の世界から、現世を生きた後、再び安らぎのある「無」の世界に帰るのだ。これが、この映画が描きたかったテーマではなかろうか。
 うがち過ぎかも知れないが、少なくとも映画にこの題名をつけた人は勿論、映画館に足を運んだドイツの人たちは皆、タイトルにある「無」とは何を意味するのかを意識していたはずだ。日本語の題名を見た我々日本人が、「二度の決断」とはどれを指すのかを気に掛けながら観るのと同じように。

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