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「800字文学館」

海峡にて

首藤 静夫

 大分に帰省したついでに北九州の門司港に遊んだ。瀬戸内海の西の出口である。
 JR門司港駅は昔のレトロな雰囲気を残し、駅舎をはじめ改札口、売店、文字板などが軒並み昔風だ。駅を出ると港の一帯が見えてくるが、ここも昔風の洋館が目立つ。門司は「明治日本の産業革命遺産」の一つなのだ。

 港の一角にそびえる高さ約百メートルの展望室からは関門海峡が眼下に見える。長大だ。パノラマの大写真と説明書きで実景を押さえていく。向かって右手に門司と下関をつなぐ関門大橋が見える。橋のすぐ先が源平の古戦場・壇ノ浦だ。目を左手に転じるとかなり先に巌流島とある。その先は響灘、玄界灘と続く。
 瀬戸内海と聞くと「瀬戸の花嫁」のようなのどかな風光が想像される。しかし出口あたりは瀬と灘が多い海の急所である。

 訪れた4月中旬、この日は「天気晴朗なれど浪高し」だった。地元の人の話では、港は一年中風が吹くが今日は特別に強いとのこと。白波がひっきりなしに西から東に押し寄せる。巌流島から壇ノ浦の方へという方が分かりやすいか。
 壇ノ浦の戦も巌流島の決闘も4月で、今日のような日和だったそうな(巌流島の方は当てにならないが)。
 6時間おきに向きが入れ替わる海流が、戦いに大きな影響を与えた。源平も最初は平家優勢だったが、潮流がかわって戦況が逆転する。海戦が得意なはずの平家がここで滅亡した。もっとも安徳天皇以下やんごとない非戦闘員を大勢かかえては戦闘になるまい。一緒に沈んだ「草薙剣」(実際はその形代)は今も瀬戸内海の底深くに眠っている。
 巌流島に武蔵が大幅に遅参したのは、逃げ帰る際の潮の流れを計算してのことだといわれる。それほど周到な武蔵が、闘いに赴く小舟の中で、櫂を刻んで木刀を作ったとはおかしなことだ。素振りや打ち込み練習もできずに本番に臨んだのだろうか。
 海を見つめて往時をしのぶ私に隣の妻がぼやく、
「こんな寒い風の中にいつまでぼんやりしているのよ」

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