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「800字文学館」

「忖度」雑感

大津 隆文

 人と接する時に、相手の思っていること、気持ちを正確に把握することが大切なことは言うまでもない。問題は相手の気持ちが百パーセント明示されることは滅多にないことだ。このため私たちは仕事でも家庭でも相手の真意は何かと、いつも人の気持ちを読みながら日々を過ごしている。
 私の以前の職場では「気が利く、利かない」という言葉をよく耳にした。上司から仕事の指示を受けた時、状況が想定通り展開すればいいが、往々にしてそうならないことがある。そのような場合、上司の指示の趣旨を踏まえ柔軟に対応できる部下は「気が利く」と評価されるのであった。
 世間でも、相手の気持ち、周囲の雰囲気が読めない人はKY(空気が読めない)などと陰口をたたかれる。他方、草履を懐で温めた秀吉、お茶の熱さを三度変えて出した三成は人の気持ちを読む達人であったといえよう。

 最近よく耳にする「忖度」も相手の気持ちを読むことであり、「思いやり」とも共通する。ただし、対象となる相手が「思いやり」は対等ないしはそれ以下、「忖度」は対等ないしそれ以上の場合が多いように感ずる。そのせいか、相手の希望に沿いたいというインセンティブあるいはプレッシャーは「忖度」の方が大きそうだ。
 いずれにしても、「忖度」それ自体はとくに非難されるべきとは思わないが、重要なことはその後の対応である。相手の思いや地位がどうであれ物事がルールに従って処理されるべきことは当然である。状況によっては「気が利かない」という批判も甘受すべきであろう。また、形式だけルールに合わせて脱法的に処理するのは禁じ手であろう。
 さらに、ルールの範囲内で裁量として許される程度のことであっても、それを特定の人だけに認めることが適当かどうか、という問題がある。現在の大衆社会は公平ということに大変敏感である。「李下に冠を正さず」という言葉があるが、「忖度」を受ける立場にある人も「忖度」する側の人も共に心に刻んでおくべきではなかろうか。

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