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「800字文学館」

八丈島一周

大森 海太

 高校の級友でへぼ碁仲間のNとSはサイクリングが趣味で、誘われるままに八丈島一周に出かけたときのことである。

 羽田から僅か四十五分、空港に降り立ってみるとそこはすっかり南国、植生は本土で見かけないものばかりである。自転車を借りてホテルに荷物をおき島の北側を半周。八丈島は北西に八丈富士、南東に三原山の瓢箪型で、真ん中のくびれたところに飛行場やホテルなどがある。

 日が傾き、近くの飲み屋で三人でクサヤの干物を肴に島焼酎をイッパイやっていると、空を見上げていた店のオヤジが「あ、こいつはダメだ。帰っちゃった」と言う。飛行場が狭いので着陸の判断は機長の度胸次第、最終便は慎重な人なので羽田に引き返したらしい。ここは流人の島で、古くは宇喜多秀家、その後も多くの人間が流されたが、赦されて本土に戻るときはご赦免料理なるもので祝ったそうである。薩摩の流人が持ち込んだ芋から焼酎が造られ、この日飲んだのは「情島」という銘柄、素敵な名前じゃありませんか。

 翌日午前中は雨なのでホテルでへぼ碁、午後から出かけたが私のチャリは変速ギア不調で、思い切ってスクーターに借り換えてみたところ、これは優れもので、最終日起伏の多い島の南側を回ってNとSはアゴを出したが、私はスイスイ先を行って、途中の黄八丈の店や、太平洋を見下ろす展望台、八丈富士を望む登龍峠などでゆっくりと二人の到着を待った。

 夕方、空港の待合室で飲んでいるうちに、幸い帰り便の機長は勇気ある人とみえ、予定通り迎えに来てくれた。あっという間に羽田に戻るといつもの都会の人ごみ、出張帰りのビジネスマンが忙しそうに歩きまわっていて、なんだかキツネにつままれたような気分である。

 その後へぼ碁の会には小学校の級友Kが加わり四人で打っているが、ある時私が何でも書こう会の話をしたら、大いに興味を持って我々もやろうということになり、その名もへぼペン。月に一度囲碁の前後に作文を持ち寄って楽しんでいる。

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