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「800字文学館」

大磯散策

安藤 晃二

 先月、あるグループで大磯へ早春の自然散策に出かけた。

 バス停で、思いがけず学生時代のオーケストラ仲間の女性に会う。青春時代そのままに「あらーっ」、瞬時の再会を喜ぶ。いまは大磯夫人、こんな奇遇が面白く爽快だ。住人の彼女は未だ吉田邸を訪れていないと笑う。

 焼失後の吉田邸は整備が終わり公開されていた。名所旧跡とは異なるが、富士の絶景と海原を望む丘の斜面の数寄屋造りの豪邸は、昭和史の因縁を閉じ込めて感慨深いものがある。道路サインの「東京70k」が印象に残る。切通を挿んだ城山公園の古代横穴住居跡周辺の自然を歩き、バスに乗る。「統監通り」?はて、隣席の乗客が、朝鮮総督府初代統監伊藤博文の別邸が大磯にあったと教えてくれた。案内図をみて驚く、西園寺公他明治の元勲や、徳川、鍋島など旧華族別邸跡が旧東海道と海岸の間の地域にひしめいている。

 鴫立沢に至る。「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢のあきの夕暮れ」。ここにも西行の足跡がある。茅葺の「鴫立庵」は、京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び日本の三大俳諧道場といわれる。江戸初期に崇雪なる人物が五智如来の石仏像をこの地に運び「鴫立庵」の標石を建てる。元禄時代、俳諧師大淀三千風が初代庵主となり、爾来有名な俳諧師が後を継ぐ。現在の庵主はニ十二代、鍵和田柚子氏である。

 帰途澤田美喜記念館に立ち寄る。聖ステパノ学園とホームは、現在は問題を抱える児童等をも引き受けると聞く。隣接する崖上に記念館、聖堂がある。日米両方との確執、GHQは「反米感情を煽る」と言い、日本側は「日本人の恥」と疎む。逆境の中、2,000人を超す混血孤児を守った。三菱財閥家に生まれ、キリスト教信仰を支えに行動した明治人、美喜の人生年表を観る。晩年迄蒐集し続けた「隠れキリシタン遺物」の展示が始まっていた。ガラシャ夫人のロザリオを収めた蒔絵函を飾る明智家の桔梗紋の伝えるリアリティの凄さは、見る人の心を射る。

 大磯は様々に歴史の断片を切り取って見せてくれる。

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