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「800字文学館」

「玉電」通り

野瀬 隆平

 渋谷からは、バスで行くことにした。
 地下を走る東急線に乗れば、桜新町まで早く着くのは明らかだが、それでは沿線の様子を眺めることが出来ない。桜新町は高校から大学時代にかけて住んでいた町である。三軒茶屋で友達と会う前に少々足を延ばして、久しぶりに訪ねてみようと思ったのだ。
 渋谷駅から乗ったバスは、道玄坂上を過ぎてから今はなき玉電が走っていた道を走る。池尻、三宿などの停留所の名前が、当時のことを思い出させてくれる。しかし、通りの雰囲気は全く変わっていた。道幅は広いが、頭上を走る高速道路が暗くのしかかってくる。東名に繋がるこの首都高速を幾度も車で飛ばしたことはあるが、下の道にこのようなしわ寄せがきていることを初めて実感する。
 バスは地下鉄の駅がある桜新町は通らない。三軒茶屋を過ぎて、いくつ目かの停留所で降り、見当を付けて歩き出す。歩くこと十数分、自分の住んでいた場所の近くまで来ている筈であるが、どうも記憶と合致しない。六十年も経っているのだから変わっていて当然だ。駅からであれば確実にたどり着けると、先ずは地下鉄の桜新町駅へ行くことにした。
 玉電の駅から家には通いなれた路。さすがに「その場所」にたどり着いた。今は全くの他人が住んでいて建物も違う。間違いなくここなのだが、更に確かめるすべはないか。そうだ、通りを挟んだ向かいの家に町内会の会長Mさんが住んでいた。そのような家ならば代が変わっても、その子孫が住んでいるに違いない。恐る恐る門柱を窺うと、Mの表札がかかっていた。
 自宅の場所をしっかりと確認したあと、付近の様子がどうなっているか見て回る。記憶が次々とよみがえってくる。通っていた床屋をはじめ商店のほとんど変わっている中で、蕎麦屋のTと時計店のKはあった。
「玉電」通りと当時呼んでいた道に立って渋谷の方向を望む。路面電車の音が聞こえてきそうだ。将来に向かって、駆け出していた若い頃が懐かしい。

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