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「800字文学館」

イザベラ・バードの見た朝鮮

稲宮 健一

 イギリスの女性旅行家イザベラ・バードが朝鮮に旅行をしたのは一八八五年(明治十七年)で、その紀行文は古典である。丁度日本が西欧文明と対峙し始めた頃だ。最近の南北朝鮮の活動の底にあるものは何か、我々には理解し難い。そこで、ヒントを得るために紀行文を読み返した。

 バードが訪れた頃のソウルは、政治、商業の中心地であるが、商業は行商人の取引程度の規模だ。ここは国の中で支配階級が住むに値する唯一の都市である。しかるに、ソウルに芸術品はなく、古代の遺跡はわずかしかなく、見るべき催しものも、劇場もない。宗教に無関心なので、寺院もなく、いまだに迷信が影響力を持っている。仏教は李朝が成立する以前、千年にわたり民衆に浸透していが、十六世紀以来禁止された。そして、宗教的活動は、先祖崇拝と、鬼神信仰であった。

 政治権力は唯一李王朝のみで他はなく、明、清の皇帝は頭上にある絶対的存在でこれを超えてはいけない。ましてや西欧に傾くなどあり得なかった。この時代の日本は皇室、幕府と各藩の権力の平衡が維新まで保たれていて、維新後は西欧文明に向き合い、近代の自由民権運動が展開していた。しかし、バードが訪れた頃の朝鮮では民衆が自立し時代の潮流にのる運動は湧き起らず、戦前までは大国の植民地支配の流れに捲き込まれていた。

 戦後七十年以上経つので、古いことから現在を判断するのは正確ではない。しかし、火のない所に煙は立たぬと言うように、戦後の節目のときに自身の将来像を求めて種火になる国を挙げての議論があってしかるべきが、不幸に、その節目の時代から大国間の東西冷戦に巻き込まれ、国内で自由闊達な議論を通じた自分たちの合意形成を行う運動が持てなかった。すると、バードが見た民情が今でも心の隅に残っているのかもしれない。
 だた、バードは王朝支配の悪弊に染まらない半島の外の、朝鮮人は、日本人、清国人より、体格が良く、また英語の理解も早いと素質は認めている。

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