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「800字文学館」

旅にしあれば・奈良の味

新田 由紀子

 根っからの関東者なので、だしの効いた上方の薄味は憧れだった。
 旅の最初の晩は奈良駅前アーケード街だ。気軽に一杯と、「おばんざい」のある天ぷら屋に入る。盆地の底冷えにすっかり凍えたので、熱々二合に大根煮と青葱酢味噌を頼む。関西弁が活気よく飛び交い、目の前の銅鍋で天ぷらが揚がる。徳利を傾け、年をとるのも悪くないなどと思いながら、威勢よく盛られた天丼でしめる。
 翌日と翌々日は大和八木。駅前商店街の「おでん・田舎鉄板焼き」の暖簾をくぐる。地元客でざわめく中、熱燗に、すじ、厚揚げ、ごぼう巻きを声高らかに注文すると、すじは魚の練り物ではなく牛肉だと言う。次の「広島風浪花焼」という一品には、何とかソースにマヨネーズをときたので、「どっちもかけないで」と言うと、店内が少し静かになった。
 次の晩は駅前百貨店の展望レストラン。窓一面の金剛山地の夕映えが旅情を誘う。まずは熱燗だがつまみには困った。「四元豚ヘレカツ」と瓶入りサラダという妙なものを選んだ。ヘレカツが発音できず、フィレカツと言うと、店員も口ごもった。
 四日目は橿原神宮駅前の居酒屋兼ラーメン処。高校生がラーメンをすする横で常連客が焼酎を囲む。熱燗に甘々の大根煮とシラスおろしと串揚げ。シラスはジャコ、串揚げは串カツと書いてあるが、通じた。次の晩は駅構内の食堂だ。おばさんが一人「寄り道セット」で酔っぱらっている。熱燗におでん、焼き鳥とにゅうめんをとったが、つゆの甘さに圧倒された。
 翌日もおでんで飲んでいると、急にパスタが食べたくなった。街道沿いにファミレスを見つけてトマトパスタにワイン。宿に戻ると、夕食弁当が出てきた。お酒もあるというので、銘酒飲み比べセットで弁当をつまんだ。
 最終日は京都駅ビルの飲み屋で熱燗、おでんに焼き鳥のダメ押し。しめの鰊そばの甘ったるいつゆの味を新幹線の中で反芻する。
 憧れの関西の味は帰宅した翌日まで甘く甘く舌の奥に残っていた。

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