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「800字文学館」

みょうが

斉藤 征雄

 昼食にいわゆる越前おろし蕎麦をよく食べるが、薬味として刻み細ネギ、おろし生姜、みょうがの細切りを乗せる。

 その、みょうがについてである。
 私が育った田舎では、家の前の畑の片隅にみょうがが自生していた。いつか誰かが植えたのだろうが、多年草なので何の手入れをしなくても毎年時期になれば自然に生えてきた。だから子供のころから、みょうがは我が家の食卓では珍しくない食材だった。もっとも食べ過ぎると物忘れがひどくなると言われていたので、子供の私はおそるおそる食べていた記憶がある。
 サラリーマンになって、直江津の工場に勤務したとき住んだ社宅の庭にもみょうがが自生していた。しかも大量に生えた。近所の人たちも勝手に採っていったが、それでもとても消費しきれなかった。
 そんなわけで私の体内には、みょうがは自然に生えたものを必要な時に庭から摘んでくるもの、という感覚が強く形成された。つまり、みょうがに金を出すことに心理的に激しい抵抗を感じるのである。

 毎日の食材を調達するのは私の担当なので、ほぼ毎日スーパーに行く。もちろん何を買うかは、カミさんの書いたリストに従う。当然、みょうがもリストに登場する。
私の行きつけのスーパーでは、みょうがは高知県産のものが三個入りパックで売られている。値段は九八円。……高すぎる。みょうが一つが三〇円以上とは。私の感覚では、只で生えていたものに三〇円以上を出すのである。
 その上この九八円が、ときどき値上がりする。一一八円、一三八円、一五八円、そして今年の夏は遂に一九八円にもなった。高知の天候が不順だったのかも知れないが、それにしても通常の二倍とは。みょうがごとき、がである。

 その日は、買わずに帰った。
 カミさんが品物をチェックしながら「みょうがを忘れているわよ」と言った。「高かったから買わなかった」と憮然として答えながら、自分の飲み代に対する金銭感覚とのギャップに気が付いて、内心で苦笑した。

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