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「800字文学館」

101年目の「信濃木崎夏季大学」

大越 浩平

 豪族・仁科氏にちなんで名付けられた仁科3湖の1つ、木崎湖を見下ろす林間にある「信濃公堂」にカランカランと鐘が鳴り響く。講義開始の「振鈴」だ。270名前後の受講生が着席。公堂は畳数180、障子が外され、廊下にも席がある。講師を迎える係は、廊下に直に正座し深く頭を下げている。伝統に乗っ取った礼儀であろう。緊張感が走り背筋が伸びる(形式と威厳に影響されている自分に苦笑する)。

 大町市の知人から、「信濃木崎夏季大学」の案内が届いた。8月1日から9日迄だ。講座は多岐に亘る。受講料は1日500円、地元住民は無料。

 信濃木崎夏季大学は、大正6年に開校し本年は101年目の開講という。アンデルセン童話の研究・翻訳家の平林弘人が北安曇郡の尋常小学校校長時代に提唱し、賛同者、協力者を得て開設した。事業母体は信濃通俗大学会で総裁は後藤新平、会長には新渡戸稲造、評議員に柳田國男もいる。
 信濃通俗大学会の「通俗」に開校の意味がある。当時の論文、講義録は漢語を含む専門の学術用語や高踏的な言辞に散りばめられ難解であった。そこで大学会は「学俗の調和」「学俗接近の急務」を主張、俗に通じ「一般社会にも十分通用し」「誰にも分かりやすい事」を求め、信濃通俗大学会を設立した。信濃木崎夏季大学の講座は「通俗」である。

 1回目の講師陣に、後藤新平や吉野作造等の名が見られ、その後の講師に、阿川弘之、有島武郎、梅原猛、津田左右吉、和辻哲郎もいる。

 以来101年、戦時中の中止要請や、県外人の参加禁止要請にもめげず、夏季大学を継続させた。四方を取り巻く様々な領主に蹂躙されながらも生き抜いた、安曇野人の反骨と気概を感じる。

 長野県立歴史館館長、笹本正治先生の「実像の戦国時代 戦争・安全・技術・心得」を受講し満足した。

 休憩時間に、受講者に湯茶の接待があった、動作はぎこちないが誠意に溢れる。聞けば彼らは安曇野の教職員達だと言う。夏季大学運営の熱意と誇りを感じた。

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