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「800字文学館」

小さなノート

大森 海太

 私の父は早く亡くなったので、パソコンや携帯電話とは無縁であったし、母も晩年ボケてしまったので同様であった。私はボケてはいないと思うがメカには滅法弱いので、パソコンはメールとネットとゲームだけ、携帯はもちろんガラケーで、スマホはハナから敬遠している(スケジュールは手帳派)。ところが新聞によると、アメリカではすでにスマホすら飽きられつつあり、早くも次世代ツールが開発されているとのこと、恐ろしいことである。私の孫たちが数十年後にペンクラブに入ったとしたら、「祖父は情報化の新しい時代についていけない人だった」などと書くに違いない。

 というわけで「何でも書こう会」に入会して、原稿はワードで作成しなければならないと分かったとき、大いにうろたえたものである。もちろんワープロ機能は文章を推敲するのには大変便利であるが、やっぱり手書きの原稿のほうが味わい深いものがある。私は以前ある人から開高健の「オーパ!」の直筆原稿版をもらって大事にしている。これは原稿用紙に特徴のある丸っこい文字で書かれ、字句を挿入したり線を引いて消したりしたそのもののコピーで、行間からアマゾンの風や開高の声が聞こえてくるようで、活字の文庫本のはるかに及ぶところではない。

 ところで最近ペンクラブの月例会で、女優の伊藤榮子さんが亡夫河原崎長一郎氏の思い出を語っておられたが、そのなかでチョーさん(長一郎)は小さなノートを肌身離さず持ち歩いて、ヒマさえあれば(たぶん鉛筆で)詩やらなにやら書きつけており、遺品を整理したらなんと三〇〇冊に及んだという。私はこの話を聞いてすっかり嬉しくなってしまい、さっそく文房具屋に行って小さなノートを買い求めてしまった(バカだね)。もっともチョーさんやペンクラブの多くの方と違って、私は詩情(うたごころ)が乏しいので、詩はもとより俳句や川柳も思い浮かばず、買ったのはいいけれど、じつは何を書くのか迷っているのである。

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