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「800字文学館」

松山市立子規記念博物館

稲宮 健一

 松山市立子規博物館を訪れた。家内の父母の墓参で広島の蒲刈島を訪れた機会に松山に立ち寄った。朝、松山着、お決まりの秋山兄弟の坂の上の雲ミュージアム、旧藩主の嗣子、久松伯爵が建てたミニ赤坂迎賓館のような萬翠荘、松山城を訪れ、最後は道後温泉に浸かる予定だ。乗った路面電車の終点は道後温泉駅で、降りると、右手に三階建てのデッカイ白亜の殿堂が現れた。

 博物館の玄関の右手脇に背丈より高い濃い緑色の卵型の自然石が飾られ
「足なえの病いゆとふ伊豫の湯に 飛びでも行かな鷺にあらませば」
と子規の筆跡で刻まれている。松山から上京の折、病で足が不自由になり、松山と道後の湯へ帰りたいと詠った。

 中に入ると、壁に大きな写真、遺墨、子規につながる図や説明文が掲示され、机の高さほどのところに横長の展示空間があり、目を落とすと、小さい文字で、子規の出自から短い生涯の活動を多方面にわたる説明文で示している。所々にビデオの映像による説明もある。一階から三階まで、すべてこの構図で埋め尽くされているので、一つ一つ丁寧に読んで行ったら二、三時間はすぐ過ぎる。

 子規と言えばやはり漱石である。帝国大学の同級生であると同時に、同じ文学の道を歩んだ仲間として、館内の三階に設置された子規、漱石、そして俳句の同志が集まり、俳句、文学、野球を論じた八畳ほどの和室、愚陀佛庵が復元されている。当時の雰囲気が感じられる。ここから子規の後継者、極堂、虚子、碧梧桐などが輩出した。

 俳句は日本の四季と共に移ろう草花、木々、天候と切って切れない。短い言葉は漠然とした広がりある表現であるが、聞き手はすでに優しい自然が頭に織り込まれているので、詠み手の言葉から共に感じられる感覚を自身の中に描くことができる。文字は少ないが、日本の自然から切り取った一片の美を表すことができる
 帰りにJR松山駅前広場に、「春や昔十五万石の城下哉」の大きな自然石による句碑が出発を見送ってくれた。

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