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「800字文学館」

昭和の百人

稲宮 健一

 手元に文春九十周年記念「鮮やかに生きた昭和の一〇〇人」という写真集がある。最初のページは熱海の広津和郎の書斎で志賀直哉がくわえ煙草、あぐら姿で将棋を指している。相手は文士仲間か、脇から広津が眺めている。もう少し若く、学徒動員時代に青春を過ごした吉行淳之介は、山口百恵と対談して、女はみんな深く、深く悪いと、暗い時代に生きた一筋の明かりを目の前の若い美人と語った。田中角栄は疑獄に落ち入るまえ、背広に下駄姿で真紀子と共に庭石に座り、親子の安らいだ雰囲気が出ていた。
 湯川秀樹と今西錦司が続きのページで掲載られている。京都学派で世界の物理学者と、登山家であり独特の霊長類研究の創始者が結構真面目な顔で写っている。石原慎太郎、裕次郎の兄弟の若かりし頃、私の息子のような感じのするスナップである。多彩な人々が表情豊かに写っている。寝転びながら、戦後の回復期に日本を賑やかにした顔ぶれを思い浮かべてページをめくった。

 しかし、昭和は二十年から始まった訳ではない。二十年までにも、当時、時代を鮮やかに駆け抜けた人々がいた。山本五十六は日露戦争の頚木から抜けられない大艦巨砲主義の古老に対して、戦闘機の開発に並々ならぬ情熱を燃やし、近代戦を戦った。堀越二郎は資源の少ない日本にとって許される能力の限界に挑んで名機を生み出した。八木秀次は極超短波の指向性アンテナを、岡部金次郎はマイクロ波を発振できるマグネトロンを発明した。いずれも世界の最先端を走った。しかし、伴走者もなく、か弱い最先端を育成し、より大きなシステムに発展させる力量がなく沈没した。
 政治では斎藤隆夫の粛軍演説が昭和十一年帝国議会で行われが、その後、無理偏と軍刀がまかり通り、道理が引っ込んだ。

 戦前の重苦しい束縛から解かれ、伸び伸びとした表情の写真に溢れている。戦前という重しが遠くなった今だが、これからもあの明るさが続いてほしい。

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