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「800字文学館」

消せるボールペン

志村 良知

 書いた文字を跡かたも無く消す事ができる筆記具はこれまで鉛筆だけだった。鉛筆の芯は黒鉛即ち炭素、その黒は消しゴムで消さなければ紙の寿命ある限り何百年でも保たれる。
 最近、消せるボールペンというのが一般化し、我が家にも知らないうちに入り込んでいた。
 消せるボールペンは鉛筆とは全くの別物で、インクの成分はスーパーやコンビニのレシートやバーコードラベルに使われている感熱紙と同じロイコ染料の仲間である。
 ロイコ染料にはある特定の温度で色が消えたり現れたりするサーモクロミックと呼ばれる性質があるものがあり、消せるボールペンは常温で着色していて65℃位で色が消えるように調整されている。ペンの反対側についている消しゴム様のものは摩擦係数の大きなプラスチック球で、こすった摩擦熱で消色する。
 熱で消せるので、全面をいっぺんに消したいという時は、へアドライヤーの熱風をあてるか、コンロの火にかざせば一瞬で事足り、紙はリサイクルできる。さらに、消した文字は氷点下20℃位の冷凍庫に入れておくと読める程度まで復活するが、この裏技はあなただけの必殺技として御家族には内緒にしておかれることをお勧めする。

 実は、私の出身企業は感熱紙製造大手でもありロイコ染料とは親しい。ロイコ染料の弱点は信頼性で、消せるボールペンの文字もスーパーのレシート同様に紫外線や経時変化でも消えて復活はしない。
 消せるボールペンが発売されたのは私の退職後だったが、現役の企画担当に「アイディアも無かったのか」と聞いてみた。彼の答えは「玩具としてはあった。しかし汎用の筆記具に、という考えは全くなかった」だった。
 長年、文書コピーやバーコード用感熱紙の保存・信頼性向上を第一としてきたわが社ではボールペンの字は永久不滅が常識。商品に『大事な文書には使うな』というシールを貼っただけで、消せたり消えてしまったりするボールペンを売る度胸はない、ということであった。

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