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「800字文学館」

光芒やロマンと物理の散歩道

池田 隆

 雲の切れ目から太陽光線が放射線状に地上へ降り注ぐ現象を「光芒」あるいは「薄明」という。初夏の夕刻、奥州白河の南湖の畔を歩いていると、黒い畝雲が西の空を覆い始めた。見上げると幾筋もの鋭い光線が円錐状に差し、湖面に映えている。
 南湖は藩主松平定信が築造した回遊式の湖水である。周辺の松や楓が美しい名勝で、その名は李白の詩「南湖秋水無煙」に因む。当初より四民に開放され、多くの文人墨客が漢詩や和歌に詠み込んできた。
 感動的な光芒を眺め、五言絶句もどきでも作りたいが、良いフレーズが浮かばない。「天使の階段」「ヤコブの梯子」とも呼ぶ神々しい自然現象を目の前にしながら悔しさだけが募る。
 理系人間の宿命か、すると頭脳活動は右脳から左脳へと移っていく。地球に達する太陽光線はほぼ完全な平行光線の筈である。それが放射線状に見えるのは何故だろう。あたかも輝く太陽が雲の切れ目の直ぐ上にあるように近く見える。切れ目の上に別の雲が有り、それが光っているのだろうか。それとも光の回折か屈折のせいか。どれも考えにくい。
 我々が見ている光線は大気中の細かい水滴や塵による太陽散乱光の経路である。幼児が描くお日さまのように、太陽光は放射状の線に見えることが多い。写真に撮っても数条の放射光線が写る。これらの線は大気の不均一性や受光機構の歪みが原因であろう。
 光芒が平行光線にも拘らず太陽を中心とした放射状に見えるのは、無限遠方では平行線の視角がゼロになる遠近法の理屈で説明がつく。しかし真直ぐ先に伸びる鉄道線路と違い、光芒は遠い先の方ほど近く明るく見え、手前ほど霞んで見える。それは太陽光線が地上近くの湿った空気を通過すると、急速に減衰するためである。光芒の太陽が雲の直ぐ上に見える理由が分かった。
 湖畔を半周ほど歩いて来て、頭の靄が晴れた。空を見上げると、光芒がまだ微かに残っている。漢詩作りは諦め、フォト句用の句を捻る。
 光芒やロマンと物理の散歩道

参照;このフォト句の写真は本HPの<ペンフォト句>の<2017-06-13第七十四回フォト句会優秀作品>に掲載。

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