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「800字文学館」

大山崎山荘美術館

稲宮 健一

 期せずして、アサヒビール大山崎山荘美術館を訪れた。春の桜見物に浮かれて京都の醍醐寺、石清水八幡宮、淀川河川敷に出かけた。特に淀川河川敷公園の桜並木は見事だった。京阪八幡市駅から宇治川を渡ると、桂川、木津川が合流し淀川となるが、そこに至る一・四㎞の堤が二五〇本の桜のトンネルになる。両側、天頂、さらに堤の下の方まで張り出して、視界には太い幹と、一面の桜しか入らない。山桜や、しだれ桜では醸し出せないこれぞ染井吉野だ。

 夕暮れにはまだ時間がある。予定によりサントリーの山崎蒸留所へ行こう。不思議なことに、京阪八幡市から目の先にある対岸の山崎まで、川をまたぐ電車が無く、タクシーに乗った。茨城県出身の運転手はサントリーの博物館は知らないという、大山崎ならアサヒビールの美術館でしょうと一方的に連れて行かれた。

 正門は石造りのアーチになって別世界の入り口。そこ過ぎると少しきつい坂があり、よく手入れされた庭木の茂った庭園があり、さらに登って行くと、太い柱で支えられた大屋根のある英国風の山荘が現れた。立派だ。この山荘は船場の資産家、加賀正太郎が建てたものだ。加賀は若いころ英国に遊学し、アルプスを登頂するなど欧州の文化に馴染んだ。帰国後昭和の初期にテムズ川を見下ろすウインザー城の情景を思い起し、ここ淀川の合流点を見下す広い眺望に目を付けた。秀吉が山崎の合戦で布陣した対岸を含め川筋の全貌を一望できる絶景の地だ。山荘の基礎はコンクリート造りだが、外観は濃い褐色の太い木の柱が飾りとなるハーフテンバー工法で建てられた。丁度目黒の旧朝香宮邸ほどの大きさ、重厚な部屋の造りはかの地の貴族の家を模したようだ。三階のテラスから景色を堪能しながらお茶が楽しめた。

 加賀は一九三四年に寿屋の山崎蒸留所の立ち上げに参画し、その後マッサンこと竹鶴政孝を支援し、朝日麦酒の創業者山本為三郎と邂逅した。その縁で今はアサヒビール芸術文化財団が管理している。

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