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「800字文学館」

雪村(せっそん)ここにあり

内藤 真理子

 NHKの日曜美術館でピカソのゲルニカを見ていたら、番組の最後にゲルニカの一部、両手をあげて顔を真上に向けた『落ちる女』が映り、ピカソの映像はそれで終わった。
 次に各地の美術館便りの冒頭で、雪村の『呂洞濱図』が映った。
 龍の頭に両足をどっかと載せ、胸を張って両手を斜め後ろに伸ばし、顔は直角に上を向いている。目は大きく見開いて、見上げる先の朧にかすんだ龍と対峙している。余白には気流が起こっているように、鬚は真っ直ぐ斜め上に長くたなびき、手に持った瓶からは煙が立ち昇り、身につけた布は躍動している
 まるでピカソの絵のようではないか。
 本物が観たい! 芸大美術館で開催されている「雪村・奇想の誕生」に展示されている、とあったので早速行ってみた。
 この絵がピカソに似ていると思ったのは、絵の中の人物・呂洞濱の顔やしぐさ、足下の龍の目、身につけた布の動きなどが奇想天外でどこかユーモラスなところだ。
 雪村はピカソよりずっと昔の室町時代の画僧で、生没年は不詳だが、八十二歳まで絵を描いていたのはわかっている。雪村の絵は、後の尾形光琳やその他の絵師に多大な影響を与えている。ピカソも見たかもしれない。

 雪村は常陸の国の生まれで、禅僧の修行をしながら絵を学んだ。前の年代の雪舟を尊敬していたが、画風に影響は受けていないそうで、初期の優れた作品が何点か展示されていたが、よく見ると独特で、すでに奇想の片鱗が見えた。
 五十代半ばから常陸を離れ、小田原、鎌倉を訪れる。その頃からの、中国の水墨画から題材をとった作品は斬新で、独創的なものが一気に花開いた観がある。
『列子御風図』は、仙人が後ろからの強風に煽られながらも、背を丸めた格好で宙に浮き、両手を前に伸ばし息を吐いている。その息の粒子が曇り空に飛散しているのがはっきり判るタッチで描かれていた。
 他の作品も、独自の着想と多彩な画風、エネルギーで「雪村、ここにあり」と自己主張をしていた。

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