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「800字文学館」

純愛伝説の日向椎葉を愛す

安藤 英千代

 宮崎県椎葉村は、平家鶴富姫と源氏那須大八郎の悲恋伝説の山里である。村面積は日本第五位と広大であるが、峻険な九州山地中央部の標高1000~1700mクラスの山々に囲まれ人口は僅か三千人である。

 約八百年前、壇ノ浦に敗れた平家は九州の山奥に逃れ、椎葉にもその一族がひっそりと暮らしていた。その追討に来たのが那須大八郎で、屋島の合戦で扇の的を見事射落とした那須与一の弟だ。しかし大八郎は平和に暮らす椎葉の民を滅ぼすことができず、美しい鶴富姫と恋仲になり幸せに暮らしていた。
 そこに鎌倉から帰還命令が届く。この大八郎と鶴富姫の二度と会えない悲しい別れを、民謡『ひえつき節』は、「那須の大八 鶴富置いて 椎葉を旅つ時ゃ 目に涙よ」と歌っている。そして八百年を経た今も那須家の子孫がこの鶴富屋敷に住み、椎葉村民の姓は大半が「那須、椎葉、尾前」となり、お互いをファーストネームで呼び合う家族のような村となっている。

 椎葉村の主産業は林業だが、1955年に九州電力が日本初の高さ110mの大規模アーチダムと発電所を建設してからインフラ等が整い、近代的な自治体に生まれ変わった。しかし国内初のアーチダム建設は困難を極め、工事期間5年、工事人員は延べ500万人、105名の犠牲者が出た。ちなみに1963年に完成した黒四ダムは、高さ181m、工事人員延べ1000万人、171人の犠牲者が出た。椎葉ダムの経験がなかったら犠牲者は更に増えたと言われる。
 ダムの高台には、この尊い犠牲者の霊を悼んで三女神像(キリスト教・仏教・水神を象徴)が建立された。犠牲者の母親の悲しみと祈りを込めたその像は、いかにも心優しい椎葉の人たちの真心を表している。

 椎葉は過疎化が進行しているが、最近若い人を中心に町おこしが活発である。またインターネット等で村内外の家族や友人との交流は濃密で、大八郎と鶴富姫のように実に温かく優しく、ほのぼのとした幸せな気分になる。

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