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「800字文学館」

思い出の第一生命ビル

川口 ひろ子

 第一生命ビルは太平洋戦争の敗戦が語られるとき必ず登場する歴史的建造物だ。日比谷のお堀端にあり戦後の一時期GHQ(通称マッカーサー司令部)として使われていた。
 1952年ビルは日本に返還され、6階にあった集会場はクラシック演奏会の為の第一生命ホールとして私たち一般に公開された。ファンの私はよくここに通った。音楽ホールというよりは昔の学校の講堂という感じで、弦楽四重奏など室内楽が演奏されたが詳細は憶えていない。はっきり憶えているのは重厚で立派なトイレだ。広々とした空間、ピカピカに磨かれた大理石の洗面台は一寸したカルチャーショックであった。
 2001年第一生命ホールは晴海に移転して音楽ホールとしての活動を再開、現在日比谷のこのビルは記念館として使われている。

 2014年秋ここで「モーツァルトコレクション&コンサート250年の響き」と題するイベントが開催された。
 1階正面玄関を入ると広いロビーが広がりここが演奏会場でその横が展示場だ。今回の目玉は、モーツァルトが実際に使用したヴァイオリンで、その他にモーツァルトの自筆譜、肖像画のレプリカなど20点程が出品されていた。
 7日間の会期中の毎日このヴァイオリンによるコンサートが開催され、私は11月26日の演奏を聴いた。出演は、モーツァルテウム管弦楽団のコンサートマスターを務めるフランク・シュタートラー、ピアノ伴奏はパリを拠点に活躍する菅野潤。
 曲目はモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ他。ヴァイオリンは1764年製、フォルテピアノは同時代の製品のレプリカだ。この様な古楽器演奏には奏者の卓越した力量が必要だといわれる。名人達の奏でる古風で柔らかな響きはまことに美しく、私は陶然と聴き入った。

 コンサートの余韻を楽しみながら帰路につく。
 次々に蘇るのは若い頃の思い出だ。
 戦後は遠い昔の話になり、マッカーサーの名前を懐かしむ世代も少数派になった。淋しいが、仕方ないか……。

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