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「800字文学館」

懐かしいバブルの頃

川口 ひろ子

 私が住む澁谷の街にBunkamura が誕生したのは30年程前のことだ。Bunkamuraには、音楽ホール、劇場、映画館、美術館、レストラン、本屋、花屋などがあり、心豊かな生活を演出する様々な物を売っている。

 1991年はモーツァルト没後200年目の記念の年だ。
 豊かさの発信基地・Bunkamuraは、ニューヨークのリンカーンセンターで毎年行われる「モーストリーモーツァルト・フェスティヴァル」の企画を、そのまま再現する「モーストリーモーツァルト・フェスティヴァル イン Bunkamura」をスタートさせた。
 8月末の1週間、ほぼモーツァルトの音楽のみが、国内、海外のアーティストによって演奏される。このイベントは99年迄9年間連続して行われた。

 オペラ歌手やピアニスト、世界の第1線で活躍中の演奏家が来日して、大好きなモーツァルトの生演奏を毎晩聴かせてくれるのである。私は住まいが近いこともあって9年間全公演に通いまことに贅沢な音楽体験を堪能させてもらった。
 特に印象深かったのは、超真面目、几帳面な演奏を心がける日本人奏者に対して欧州系、東洋系、アフリカ系、と様々なルーツを持つ来日出演者たちが、「私の表現したいのはこれだ」と言わんばかりに、自分の個性を強烈に打ち出した演奏をすることであった。
 私自身の収穫は豊かなものであったが、1500席のオーチャードホールをモーツァルトの曲だけで毎晩満員にしようという企画には無理も多かったようだ。このような甘い企画は、ジャパーン・アズ・ナンバーワンとばかり、皆が有頂天で、何事にも貪欲であったあの時代だからこそ出来たものだと思う。

 当時私はまだ現役、厳しい競争の波にもまれて悪戦苦闘の毎日を過ごしていた。使い捨てられ、負け犬になるのは嫌だ。「仕事がある限り、何が何でもやり抜くぞ!私の元気の素、それはモーツァルトだ」とばかり、残暑の中を這うようにしてオーチャードホールに通った。
 バブルに振り回された30年前、あの異様な熱気が懐かしい。

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