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「800字文学館」

三井寺の鐘をもう一度!

藤原 道夫

 先日能「三井寺」を観て、その舞台(シテ観世清和)に感動した。この能は構成がユニークで詞章がとびきり美しい。作者は不明とか。以下に能の粗筋を追いながら、三井寺の鐘の音に思い及ぼしてみたい。

 我が子(男子)と生き別れて物狂いとなった女が、清水寺で「三井寺に行けば子に会える」とのお告げを受ける。三井寺までの道行が素晴らしい。折から中秋の名月、鐘撞き係の僧が酒宴に酔って忘れかけていた鐘を撞く。「ジャンモン、モンモンモン」と鳴り響く。その後に「鐘の段」と呼ばれる場面となり、狂女は中国の故事を引き合いに出しながら僧の反対を押し切り、強引に鐘を撞く。経典の詩文である偈(げ)を当てはめてシテと地謡の掛け合い、鐘の音に仏性が込められていることが謡われる。
 初夜の鐘は「諸行無常」、後夜の鐘は「是生滅法」、晨朝(じんじょう)の鐘は「生滅滅己」、入相の鐘は「寂滅為楽」と鳴る。
 これに続く場面では、鐘の音にまつわる和歌や漢詩が引用されていて印象深い。さらに俗事にも及び、鐘の音が一夜を共にした男女の別れの合図となり、また老いの寝覚めの侘しさを深くする響きともなる。これらが最終場面で意味を持ってくる。
 男の子が狂女の出生地を問うことが機転となり、女はこれこそ我が息子だと知る。正気に戻った母親は、これも鐘を撞いたお陰であり、鐘の音は幼い我が子との再会を喜ぶ印だと謡う。

 能「三井寺」で、鐘の音は聞く人の立場、置かれている状況、その時の考え等によってさまざまに受け止められることが示されている。かつて三井寺を訪れた際に300円払って鐘を一撞きし、響いてきた音を「至って平凡」と決めつけてしまった。これはあまりにも軽率だったと反省。
 能「三井寺」を観賞し、またいくつかの寺の鐘の音を聞いてきた今、三井寺の鐘をもう一度撞いてみたい、また少し離れた所で鐘の音を聞いてみたい。どんな響きに聞こえてくるのか、大変楽しみにしている。

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