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「800字文学館」

ビストロ赤提灯 ~「山利喜」~

三 春

 深川の「山利喜」は都営新宿線と都営大江戸線が交差する森下駅から徒歩ゼロ分の大衆酒場だ。ここの一押しは煮込み(600円)で、東京三大煮込みの一つと言われている(あと二つは月島の「岸田屋」と北千住の「大はし」)。開店の午後5時近くになると店の前に行列ができる。夕闇せまるころには赤提灯の灯がともり、次々と人が吸い込まれてたちまちのうちに満席となる。

 創業は関東大震災の傷跡もまだ癒えぬ大正14年、店名は初代・山田利喜造に由来する。昭和20年3月の大空襲で焼け野原と化し、生き残った長男が焼きとんと煮込みを看板メニューに店を再建した。現三代目はフランス料理の道に進んだが、父親の体調不良で跡を継いだのだそうだ。この三代目で和風煮込みが洋風にアレンジされ、ビストロ風のメニュー、例えば鶏レバのテリーヌや自家製の燻製などが加わって人気も倍増した。

 最初に訪れたのは十数年前のこと。仲間4人でまずは「みの家」の馬刺しと桜鍋で2~3杯、興に乗った誰かが「山利喜」の煮込みでもう1杯と言い出したのがそもそもの縁だ。ブーケガルニと赤ワインでじっくり煮込んでから素焼きの器で焼いた煮込みは、熱々でトロリと濃厚な味わい。これがガーリックトーストとよく合うのだと教えられた。店内には酔漢たちの声がワ~ンと広がり、中高年の天国である。このとき既に3階建ての新館がすぐそばにできていたが、本店は昭和に建てられたままの2階建てだった。

 今やその本店も地下1階・地上5階に生まれ変わったところをみると、庶民が通い続けてつぎ込んだ金額も相当なもの、いかに愛されてきたかがわかる。ハウスワインがボトル3000円、日本酒「醸し人九平次」が800円と、赤提灯にしてはちょっと高めだが、逆に、赤提灯らしからぬ酒が揃っていることは魅力でもある。

 高級店が美味しいのは当たり前。激烈な競争を生き抜いてきた下町B級グルメは安くて旨いだけでなく、個性と工夫が光っている。

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