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「800字文学館」

春の始まり、軒端(のきば)の梅

斉藤 征雄

 近所のひっそりとした家の軒端にはなやぐ白梅が、今年も満開になった。この梅を見るたびに、京都東北院の軒端の梅が思い浮かぶ。
 東北院は一条天皇の中宮彰子の発願で建てられた三昧堂で、後に和泉式部に与えられた。晩年の式部がこの東北院に植えて慈しんだのが軒端の梅といわれ、今でも花を咲かせる。

 和泉式部といえば恋多き女として知られるが、中でも為尊・敦道親王との恋が有名である。
 式部は橘道貞の妻そして一児の母でありながら、為尊親王と深い契りを結ぶ。身分を越えた恋だったが、親王は二十六歳で亡くなる。そして式部はやがてその弟宮敦道親王とも結ばれる。しかし敦道親王もまもなく兄の後を追う。この敦道親王との恋を、日記風歌物語に記したのが『和泉式部日記』である。
 式部について道長は「うかれ女」と言い、紫式部は歌の才能は評価しながらも「けしからぬかた」と書いているから、世間を憚らず奔放に生きた女性だったようだ。
 その後式部は中宮彰子の女房として出仕し、その縁で藤原保昌と再婚。しかし晩年は娘にも死別し、式部自身がどうなったかも不明である。晩年詠んだ歌から仏教への傾倒を伺わせるとの見方もある。

 晩年の和泉式部を扱った能に「東北」がある。幽玄の名曲であるが、あらすじは次のようなもの。
 東北院を訪れた僧の前に女が現れて、軒端の梅の主だと告げて姿を消す。
 僧が法華経を読誦していると和泉式部が歌舞の菩薩となって現れ、すでに悟ったことを語り今こそ火宅(娑婆)を出て成仏するという。そして、昔、色香に迷った頃を思うと恥ずかしい、花は根に鳥は古巣に帰るように仏の道へ入るといって僧の夢が覚めるとともにいなくなる。

 京都で軒端の梅を見たのはかれこれ半世紀も前になるが、その後能「東北」を何度も観たこともあって私にとって特別な梅である。そして近所の軒端に咲く梅は、そのことを毎年忘れずに思い出させてくれる。そのふくいくとした香りを感じるときが、私の春の始まりなのである。

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