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「800字文学館」

定年あくせく

新田 由紀子

 今年の夏で会社勤めを終えた。中途入社後19年で定年を迎え、継続雇用のパート待遇でさらに8年。始めは1年ごとだった契約更新が半年ごとになり、3か月ごとになって、次の契約はありやなしやとやきもきする。それも、もう終わった。会社にとれば契約満了という金科玉条だが、会社生活にまったりはまっていた身には寒空につまみ出された思いだ。
 生活状況に伴い、様々な勤務形態でいくつもの会社を渡り歩いてきた。その中でここが一番長い。外国企業のせいか、組織感覚が薄く、環境がのびのびしている。海外留学者や一匹狼も多く、自由に仕事ができる雰囲気があった。もとより食べていくためだったから、業務内容には醒めていてもっぱら会社生活を楽しんだ。行事やパーティには張り切って参加し、サークルも立ち上げた。ホンネで話せる同僚にも恵まれて居心地満点だった。
 そして、毎日が日曜日となる。ワイドショーなど見ながらゆっくり朝食をとる。いつもの出勤の時間だ。今頃は駅を出てビルの間を歩く。オフィスドアの機器にカードを押して、左右に机を縫って席に着く。PCを立ち上げて、メールチェック。急な案件のレスポンスを考えながらコーヒーを淹れに行く。そのうち、部内が仕事の渦で沸騰してくる。その臨場感。そこにもう身をおくことはない。
 1か月が過ぎて、給料の入ってこない銀行通帳を見て足元をすくわれた。そう、入金欄には頼りない年金が載っているだけ。テレビ見ながら鍋の底など磨いている場合ではないのではないか。年齢と経験相応の、社会貢献とか地域交流とかに実益を兼ねるいい話がないものだろうか。
 探すうちに、それらしい活動が見つかった。まずは区のシニアネットワークで仲間づくり。次に日本語教室の教師養成講座受講。そして、念願の高齢者向け「健康麻雀教室」講師の研修もある。これに、稽古事を加えるとどうやら週日は埋まった。
「悠々自適の老後」には程遠い、「あくせく自助の老後」のスタートだ。

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