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「800字文学館」

湯浴み三態

新田 由紀子

 冷え込む晩には何よりと近所の銭湯に出かけた。目当ての露天風呂には先客がいる。年配が三人と若い女性だ。
 常連らしい三人はおしゃべりに余念がない。
「昨日は混んでてさ。ロッカーが空かなくて順番待ちよ」
「しゃくだから、向こうへ行ったわよ。ほら、スーパーの前の」
 そのうち、一人が威勢よく湯船の縁に腰をかけた。いやはや見事なお肉ぶり。お腹のあたりに湯をかけてはピシャピシャと叩く。たっぷりの胸をこすりあげる。目のやり場に困るどころではない、これには目が釘付け。若い女性は顎の下まで湯につかって見ぬふり。同年配の新参者としては、堂々たる肢体のお披露目にあっけにとられるばかり。
 そこで思い出したのはある立ち寄り湯でのこと。里山と盆地の眺めが評判の湯だ。向かいの山々の奥にはうっすらと富士山も顔を覗かせる。と、湯船の端で彫像のように動かない姿が目に入った。膝から下を湯に浸し、上半身を軽くひねって富士山を眺めている。着物の似合いそうなたおやかな体つき。腰にはもちろんタオルをかけて。見返り美人の湯浴み姿もかくやと、見とれるご同輩たち。TVの撮影じゃないかと、思わず見回してしまったが、麓の町のきれいどころさんあたりだったようだ。
 もう一つは山奥の温泉宿。初秋の陽が風呂場に差し込んでいる。湯気の中で片足ずつ体を湯に沈めていく美女がいた。長い髪を上にまとめ、目を伏せて気持ちよさそうに微笑している。湯気を透かした日差しを受けて、体はぽうっと明るく発光しているかのようだ。皆うらやましげに見とれている。実はこの美女は社内のお墨付きのマドンナでおまけに社長秘書。彼女の結婚が決まったらしいとの噂が広まっていた。
 温泉町のきれいどころといい、結婚間近な社長秘書といい、同性も見惚れる女性の美しさには、どうやら男性の関わりがあると認めざるをえない。
 男なんてどこ吹く風と居直るのもほどほどにして、少し気取って銭湯に入ってみるのもいいかもしれない。

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