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「800字文学館」

憎しみの連鎖

川口 ひろ子

「音楽で平和な世界を創ろう」の趣旨のもと、毎年ウィーンで開催されるニューイヤーコンサートは、世界71カ国に衛星中継され、日本では元日の夜、NHKテレビで放送される。
「美しく青きドナウ」など、私たち日本人にも人気の高いウィンナーワルツが、ウィーン・フィルハーモニーによって演奏される。

 私にとって特に印象深い放送といえば、2009年のダニエル・バレンボイムが指揮した時のものだ。
 バレンボイムは1942年生れのロシア系ユダヤ人。幼少より天才の名を欲しいまにし、後に、ピアニスト・指揮者として、ベルリン歌劇場をはじめ欧米の第一線で活躍している実力者だ。イスラエル国籍を持つにもかかわらず、壁を作ってアラブ人を排斥する現イスラエル政権を批判。彼は以下のように主張する。かつて、ユダヤ人たちは壁の中に追いやられ苛酷な体験を強いられたが、憎しみの連鎖は断つべきだ。
 また、政治と音楽は別のもの、しかし、音楽には人の心を動かす力がある、という理想を持ち、1999年ユダヤとイスラムの青少年によるオーケストラを結成、世界各地で演奏活動を行っている。
 8年前のニューイヤーコンサートの当日、イスラエルによる空爆は6日間続き、死者は400人と報道された。バレンボイムは「この年が平和な年でありますように。そして人間の正義が中東に於いて実現しますように」と挨拶して新年を祝った。

 時移り、2016年12月20日、夕刊は、トルコでロシア大使撃たれ死亡。ベルリンでクリスマス市にトラックが突入12人死亡。いずれもテロの可能性が高い、と報じている。
 憎しみの連鎖はますます拡散、そして肥大化し、音楽には人の心を動かす力がある、というバレンボイムの理想とは程遠い現実が展開している。
 極東に住む異教徒の私たちは、遠い国の悲惨なニュースを嘆くばかりだ。
「音楽で平和な世界を創ろう」という願いは、ウィーン菓子にも似た甘い幻想でしかないのであろうか?

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