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「800字文学館」

柳生の里

内藤 真理子

 柳生の里は奈良駅からバスで五十分ほどで行かれるひっそりとした山里で、山岡宗八の『柳生宗矩』に出てくる石舟斎が修行の為に駆けまわった山中を髣髴とさせるようなところだった。
 うっそうとした木立の中の細い道を行くと、目の前に苔むした大岩が壁のようにそそり立つ。本を読み返すと、ここは戸岩谷で、太古、手力男の命が、天の岩戸に閉じこもった天照大神にそこから出てもらおうと、岩戸を開いて投げ、落ちたのがこの場所で聖地となった、との記述がある。更に、この岩の上で若き日の宗矩が何日も座禅を組んでいる。
 近くには、中央から真二つに割れた七メートル四方の巨岩がある。これは石舟斎が天狗と試合をし、一刀のもとに切り捨てたら、そこに天狗はおらず、二つに割れた巨石があったことから一刀石と呼ばれているそうだ。
 山の上に行くと、柳生家の居城があった跡に、宗矩が、父石舟斎の菩提を弔うために創建し、沢庵和尚が開山したという芳徳寺があり、少し下った所に正木坂道場があった。今でも使われているそうだ。
 山を下りて昼食をとろうと思ったが、近くに店は無く、木造の古びた休憩所がありそこで食事も出来ると言う。メニューは一種類で、むかご飯と山菜の味噌汁、それに漬物だった。旅行中の食べ過ぎのお腹には丁度よく、とても美味しかった。
 最後に、旧柳生藩、家老屋敷に行った。ゆるやかな石段を上ると立派な門があり両脇の白壁は内側が納屋になっている。玄関を入ると、山岡宗八に関するものが展示されていた。
 昭和三十九年に山岡宗八が此処を買って、この場所で『柳生宗矩』を執筆したそうだ。NHKの大河ドラマ「春の坂道」もここで構想を練った、と説明があった。
 柳生の里に入ってから、何処も見知った景色で知っている場所のように思ったのは、山岡宗八がこの地を忠実に再現して作り上げた本を読み、テレビを見たからだと気がついた。
 昼食の場所もメニューも、さしずめ『柳生宗矩』に登場する春桃御前のもてなしだったのか。

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