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「800字文学館」

おぼこさんと共にいた頃

志村 良知

 おぼこさんがいなかったら、企業OBとしての私はいない。
「おぼこさん」とは甲州方言で蚕のこと。「ぼこ」は子供であるから蚕は家族扱い、それに「お」と「さん」が付く。

 養蚕の規模は掃き立てる卵の重量で表す。生家では最大200グラム位だった。卵1グラムは約1800匹分、200グラムとなると40万匹近い虫を密集して飼うことになる。
 蚕は四眠五齢で脱皮を繰り返して巨大な芋虫になる。毛蚕の時は籠数枚分であっても、齢が進むにつれて蚕座はどんどん広がっていく、本来の蚕室は勿論人間のすみかの畳を上げ床の間の前にも鎮座する。おぼこさんの由縁である。
 各齢の蚕は休みなく桑の葉を食べ続ける。食べる量は良い繭に直結するので、五齢の「喰い盛り」の桑採りと給桑は昼夜分かたぬ戦争状態になる。何万匹もが一斉に桑を食べるとザーッという雨が降るような音がする。それは金になる音である。

 蚕の成長観察は夏休みの自由研究の恰好なテーマだった。観察の山場は脱皮である。兄の助言に従ってプロセスを秒刻みで克明に記録、それを個体比較し、市長賞を頂いた。
 昭和40年代、学生だった私は夏休みには早々に帰省して夏蚕を手伝った。朝から夕方まで軽トラで畑と家を往復し、養蚕の基本を習得した。
 蚕が成熟して繭を作る状態になる事を「ひきる」と称する。一刻も早く繭を作りたがって首を振り、放浪したがる蚕を繭作りの簇に移す作業も戦争である。この作業は手早さが求められる。蠢く巨大芋虫数十匹をいっぺんに掴んだり掬ったりして虫を傷めない強靭かつ優しいプロの素手が必要で、養蚕農家に来たお嫁さんを泣かせる作業である。
 毛羽を取っての出荷は真っ白な繭に囲まれる楽しい作業で、繭は製糸工場に直接現金売りした。
 養蚕は昭和と共に終わった。しかし、おぼこさんがいなかったら私は高卒で市役所にコネで入り、有力な農家に婿入りしてランボルギーニ(のトラクター)を乗り回す事になっていただろう。

注1. 掃き立て 蚕の卵は業者の手で特殊な紙に産み付けさせ冷蔵保存する。それを買って常温に戻し、刷毛で掃くように撫でて刺激すると孵化し、毛蚕が生れる。

注2. 4眠5齢 蚕は一生ひたすら食べ続けるのではなく、2日間くらいの眠と呼ぶ休止期間を4回挿み、眠開けに脱皮して成長する。最後の5齢は約10日間の戦争となる。

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