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「800字文学館」

ひもじい

稲宮 健一

 今から七一年前、昭和二〇年六月から秋まで、この地でひもじい思いをした。今の駅名は加賀温泉という観光地に似合った名だが、当時は作見で、周辺は一面の田圃だった。前年の十二月末に疎開で、世田谷から祖父母の故郷である金沢にやってきた。金沢市内では世田谷と変わりない生活だったが、富山市街地が空襲で全焼したとのことで、次は金沢と噂され、作見村に引っ越した。祖母の故郷とは言え、面識のある人は全くいない。この地で戦争が終わったと聞いたとき、あ、これで東京に帰れるとほっとしたのを覚えている。

 振り返ると、不思議なことに作見村での記憶がぽつぽつと点でしか残ってない。この村の生活に全く慣れなかった。村の小学校に通ったはずだが、どんな校舎だったか、先生は誰だったか、教室の中の様子や、同級生などの記憶が消えている。夕暮に近くのお宮のお祭りに、村の子供達がローソクで照らされた穴倉に集まり、食べ物を持ち寄り村の話をする習わしがあった。行くのが嫌だった、しかし、母に言われ恐る恐る顔を出した。一番いやだったのは、ひもじい思いをしたことだ。芋のつるの入った雑炊とか、世田谷、金沢で食べた普通の食事が全く口に入らなかった。食糧事情が極端に悪いわけでもない、都会者とか、よそ者だと疎外れたことが原因だ。復員した父と世田谷に戻るころは栄養失調でやせ細り、免疫不全の発疹ができるほどだった。

 今、その加賀温泉駅に立っている。あの面影はない。会社同期入社の七人が金沢市内見物を終えて、特急で到着した。加賀温泉郷の入口駅で、旅館の出迎えバスが並んでいる。金沢城、兼六園、鈴木大拙館、武家屋敷、茶屋街と名所を巡り、次は湯けむりと、銘酒を待つ仲間に、ひもじさの感じは頭で分かっても、あっさりと過去の話と消える。飽食の時代にふと思い出すのも悪くない。

 今でも食料が不足すると恐怖感を起こすのか、冷蔵庫の食材を買い過ぎ、つい文句を言われる。後遺症かな。

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