作品の閲覧

「800字文学館」

丑の刻

三 春

 午前三時、「バリバリバリ! ブォー」という音で目が覚めた。今どき暴走族を気取る若者もいるのかとぼんやり思ううちに、それっきり寝付けなくなった。
 一日のなかでも「魔の時間」といわれ、自律神経が最も乱れやすく、病気も悪化しがちだとか。幽霊が出るときの決まり文句「草木も眠る丑三つ時」もこの時間帯だ。丑の刻は午前一時から三時、それを三〇分ごとに四つに割るから丑三つ時は午前二時から二時半ということになる。
 暗闇のなかでそんなことを考えていたら、真向かいに住んでいた変わり者のお婆さんを思い出した。その家の前には「駐車お断り。警察に言いつけちゃうからね」と書かれた木札が掲げられていた。一日中閉めきりのシャッター前に深夜駐車をしても、お婆さんの生活には何の影響もないはず。それでもお婆さんは大声で窓から叫び、警察に言いつけちゃうのだ。警官がやってきて路上は大騒ぎ。駐車がない夜は、「隣のミシンの音がうるさくて寝られやしない!」とまたまた大音声。隣のテーラーの女房は気の強い人で、「この夜中にミシンなんかかけるわけないでしょ、あんたの頭のなかが鳴ってるのよ!」と、これまた窓を開けて応酬するものだから、向こう三軒両隣どころか十軒四方が目を覚ます。中には「婆ちゃんやめなよ」と宥める者もいるが、お婆さんますますいきり立ち、地底から響くようなドスの利いた低音でわめきだす。
 彼女の頭のネジが飛んでいたことは間違いないだろうが、一人暮らしが寂しくて周囲の関心を引きたかったのかもしれない。でもなぜ丑の刻にだけ? こんな夜が数年続いたある日、見知らぬお爺さんがその窓辺で布団を干していた。幸いにも同居人ができたようだ。それからは深夜の寸劇が減り、やがてお婆さんは亡くなったという噂が流れた。
 こうして住民は安眠を取り戻したのだが、あの頃の迷惑千万も今となってはなんだか懐かしい。

 丑の刻。平穏な町はいつもの平凡な眠りをむさぼっている。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧