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「800字文学館」

何でだろう、何でだろう

稲宮 健一

 中学一年の理科の時間に理科大出身の能登先生が、シャーレに濾紙を敷き、金属ナトリウムを載せて、濾紙を湿らすと金属ナトリウムが炎を上げて燃える実験を見せてくれた。反応の激しさを教えるためである。あの現象は忘れない。

 最初に高速増殖炉「もんじゅ」の記事に接したとき、冷却にナトリウムを使うと書かれていた。あの炎を思い出し、あんな危険なもの使うのかと、素人ながら不思議に思った。そして、次に見た「もんじゅ」の記事は、漏れたナトリウムと消火剤が混ざった泡が炉の通路一杯に広がっている哀れな写真だった。今日の新聞は廃炉で、今後はフランスと一緒に開発を進めると報じた。

 筆者は原子力工学には全くの素人だ。しかし、何かの原因で激しい腐食性のあるナトリウムが漏れるなど科学者が夢にも思わなかったのだろうか。漫才のうたい文句ではないが「何でだろう、何でだろう」。

 鹿児島の三反園知事が原子炉を止めろと要請した。地域によってはヨウ素を配布したり、避難路を整備したり、まるで福島の事故後の対策だけに目が奪われているようだ。何が足らなくて事故が起きたか、素人に分かる説明はされてないように思う。筆者として、徹底的に検討して欲しい項目は、同じレベルの地震に襲われ、福島で事故になり、女川で事故にならなかった、そもそもの原因は何か。設計思想の一番根底で考えが及ばなかったことがあるのではないか。原子力安全委員会は日本の総ての叡智と情報を集めて安全性を確認しているはずだ。同じことは再び起きませんと、素人向けにプレゼン専門の会社を使ってでも、感情論に走らず、根気よく説得して欲しい。ヨウ素の配布と、避難路の整備だけではあまりにお粗末だ。

 秀吉のころ、城を落とすのに兵力と武器を揃えてだけでなく、兵糧攻め、水攻め、夜打ち、間者の忍び、わずかな隙間があれば自分の命を落とすことがある。生き延びるためあらゆることを考えた。昔の人並みに知恵を出して欲しい。

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