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「800字文学館」

野菜の怪

新田 由紀子

 目につき始めたのはトマトだった。
 駅を出て石神井川を渡る橋の歩道に、半分かじったトマトが投げ捨てられていた。たったいま手前のスーパーでトマトを買ったばかりなので、余計に目についた。トマト好きの男性、それも独り暮らしの若者が家まで待てずにかぶりついたのだろうか。さだめし、残業帰りのサラリーマンか、アルバイト上がりの学生あたりか。持ち帰り牛丼の袋など提げた片手で一口、二口かじって、あとは面倒で捨てたのかと想像をめぐらす。
 川沿いの遊歩道に入ると、ツツジの咲く植え込みにかじりかけの丸いのがまた一つ。その先にまた一つ。ご丁寧にポリ袋まで放り投げてある。ヘタを捨てるくらいまではご愛敬だ。ポリ袋はいけない。燃えないゴミだし、自然に優しくない。とたんに、犯人は粗野なオッサンの姿に取って代わる。無駄な想像はやめにしよう。捨てられたトマトなど見なかったことにして家に急いだ。
 それから何日かしてセロリを見た。根元だけをかじってある。確かにそこはおいしいが、十分食べられる茎が無残にも捨ててある。キュウリも見た。ガブリと半分やられてころがっている。野菜不足が相当気になるのか、お酒でも飲んだ帰りなのか。
 タケノコの皮が二枚捨てられていたのは、歩道の真ん中だった。最近、皮つきのまるまる一本など手にしていないので、しげしげと見入ってしまった。ほんのり青白い内側は瑞々しく、薄毛に覆われた黒い表皮にはアリが這っている。すると、その先にはトウモロコシの軸の下だけが落ちていた。薄皮とヒゲを残して実の部分はきれいにない。タケノコもトウモロコシも大好物で、ペロリと余すところなく召し上がったという訳か。それも生で。人間の仕業とも思えなくなってきた。待てよ、これは今話題のUMA(未確認生物)だったりして。「石神井川に怪物現わる」。テレビカメラの前で住民の証言。スーパーに行くときは身ぎれいにして出るとしよう。
 想像力の羽ははばたいて止まらない。

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