作品の閲覧

「800字文学館」

イタリアの街角で(七) エスプレッソの味わい

藤原 道夫

 エスプレッソの味わいを初めて知ったのはかれこれ40年前のこと。
 知人とローマ市内を歩き回り、ナヴォーナ広場にたどり着いた。巨大な噴水に面したバールを見かけ、そこで一休みしようと意見が一致、中に入ってコーヒーを注文した。すると店員が小さなカップを手にして「これでいいのか」というような仕草をした。何を問うているのか二人とも分からないまま、「OK」と返事をしてしまった。
 間もなくコーヒーの香りを漂わせて白い肉厚の小さなカップが出てきた。中に細かい褐色の泡が少量入っている。恐る恐るカップを傾けて口にすると、泡とともに少量の液体が流れ込み、濃厚なコーヒーの味が口一杯に拡がった。驚くほど旨かった。「こんなものを飲んだら中毒になりそう」と思いながら、四、五口で飲み干してしまった。後にこれがエスプレッソと呼ばれていることを知った。
 イタリアではコーヒーあるいはカッフェを注文すると、エスプレッソが出てくる。その後フィレンツェの小路、ナポリの下町、シチリアの山間の町などのバールでその味わいを楽しんだ。辺りの風景や人々の話し声を取り込んで「そうだ、今イタリアにいるのだ!」という実感が湧いてきた。地元の人たちがやっているのを真似て、小銭をカウンターに置き、グラス一杯の水を所望することも覚えた。当然イタリア語でさりげなくお願いする。
 いつしか東京でもエスプレッソを味わいたいと思うようになった。様々なコヒーチェイン店で試し、また有名菓子店でも試してみた。なかなか満足できるエスプレッソに出会わない。やはりイタリアでなければあの味は出ないのだろうか。コーヒー豆の焙煎法、抽出方法、使う水、など何かが違うのか。それとも自分の味覚が何時しか変わってしまったのだろうか。本場で飲んでみれば何らかの手がかりが得られるだろう。初めて味わったあのバール、あるいはフィレンツェの小路のバールを再度訪ねてみたい、今そんな夢を見ている。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧