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「800字文学館」

廃墟となった都

平尾 富男

 国境を越えて押し寄せてきた軍隊は、砲火と巨象の威力で黄金の王宮と寺院を襲った。1764年の事だった。1350年に開国して以来、35人の王たちが417年もの間君臨したが、侵攻してきたビルマ軍により滅ぼされたのだ、「無敵の国」を意味するアユタヤの名前にもかかわらず!

 タイの首都バンコクから70キロほどチャオプラヤー川に沿って北上すると、かつての栄華の王朝を印す廃墟として多くの観光客を引き寄せるアユタヤがある。往時のアユタヤ王朝は、高度な文明と経済的繁栄を極めた。ギリシア人やペルシア人を登用し、近隣アジア諸国や西欧諸国との貿易を盛んに行った。日本との繋がりも浅くはない。江戸幕府による朱印船貿易、日本人傭兵隊に加わった山田長政の活躍による日本人町の形成はよく知られている。

 周囲を川に囲まれた東西に約8キロ、南北に4キロ程の中洲がかつての王朝の中心部。そこには数々の赤茶色の仏塔の遺跡が哀しみの年月を現す濃い緑色の苔に覆われて点在している。レンガ積みの台座の上で無数の石造りの仏像が、頭や両手を切断されたまま残っている光景を目前にして、訪れた観光客は声を失う。
 侵略したビルマ軍は、仏塔と寺院の街を破壊しただけではない。人々の精神的よりどころであった仏像の徹底的破壊ではなく、より困難な切断という方法を選択して魂の仏教王朝を滅亡させようとしたのだ。
 辛くも逃れた王国の子孫たちは、バンコクに仏教文明を引き継いで新しい王朝を建設して現在に至る。壊されたアユタヤにはビルマ人が新たな都市を興すこともなく、廃墟だけが残された。滅んでいった都の夢の跡は、人の世の栄枯盛衰を改めて現代に伝える。

 1991年に世界遺産に認定されたアユタヤ遺跡は、遺跡群のライトアップや花火で夜の観光客たちを歓迎する。食べ物や雑貨などを売る多くの屋台も出て、近隣に住む人々も一緒になって楽しむ。過去と現在を繋げる平和な世界がそこにあった。

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