作品の閲覧

「800字文学館」

バンクーバーの夜景

安藤 晃二

 もう十数年も前、仕事でバンクーバーを訪れた。ある輸出製品の総代理店との契約更改がその出張の目的であった。当然、相手は交渉を有利に進めたい。六十がらみのT社長はニコリともせず、厳しい価格要求を突きつける。こちらも、販売数量のハードルを引き上げて、侃侃諤諤の厳しい商談の一日が終わった。息子がオフィスに入って来る。満面の笑みを浮かべ、実に愛想がいい。ヤマター(ユダヤ人独特の丸い小さな帽子)を頭に載せている。おカネの交渉に関わらない人間は、こうも違うものか、未だ険しい表情を崩さないT氏より夕食の招待を受けた。

 市の中央に位置する丘の天辺にそのレストランはあった。港を見下ろす窓際のテーブルに着席したとき、その夜景の美しさに息を呑んだ。「まるで神戸みたいだ。日本の港の名前ですがね」と、思わず口を突いて出た私の言葉に、T氏は「知ってますよ、KOBEなら」。「えっ、お仕事で」。この私の質問に応えて、T氏の話は、ほんとうに思いがけない方向に展開したのである。

 T氏が言う。「ミスター・スギハラをご存じでしょう?」。私は瞬時にして、これからT氏が話そうとしていることが解ったような気がした。T氏の話はまぎれもなく、そのシナリオに沿って進む。第二次大戦中、杉原駐リトアニア公使の決断により発給された日本通過ビザのお蔭で、六百人のユダヤ人家族がナチスの迫害を逃れてシベリア、日本経由渡米して生き残った。余りにも知られたストーリーである。当時六歳だったT氏は、両親に手を引かれ、何か月か神戸に滞在したという。神戸では日本の子供達と遊び、楽しかった。そのときのユダヤ人達が年に一度、杉原夫人を招待して(当時)ロスアンゼルスに集まる。

「そんな訳で、」とT氏は続ける。「私は、日本人に会うと、先ず無条件で、人間として信頼感を感じるのです」。T氏は凛として述べた後、ニッコリと微笑んだ。ビジネスの場で、感動に満ちた体験であった。

(平成二十六年十月十三日、何でも書こう会)

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧