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「800字文学館」

さくら

斉藤 征雄

 パッと咲いてパッと散るのが桜の命だが、今年は開花宣言が出てから十日たってもなかなか咲き揃わなかった。四月に入ってようやく見頃になったというので、例年の如く新宿御苑に花見に出かけた。
 人混みを避けるために朝一番に新宿門に着いたが、開苑前なのにもう百メートルほどの人の列ができていた。三脚を抱えたアマ写真家や外国人の姿も目立つ。ものものしい手荷物検査を受けて入場。酒類の持ち込みが禁じられているのだ。

 ソメイヨシノが満開。いつ見ても見事である。枝ぶりが実にのびのびしている。そして一つ一つの花びらがしっかりして大きく、こんもりした花のかたまりが樹全体をモクモクと湧き立つように覆い尽くしている。例年以上にピンクが濃いようにも思った。
 ところどころに、白い花に新葉が混じって全体が淡い緑色に見えるのはオオシマザクラか。名物のイチヨウやシロタエは遅咲きなのでまだつぼみだった。
 池の面に映える花姿もよい。しだれ柳が芽吹いていたが、まさに蘇東波の詩「柳は緑、花は紅」の世界。自然のありのままの姿がそこにあると感じられた。

 苑内を一廻りして千駄ヶ谷門を出る。代々木方面へ歩いて、北参道から明治神宮を原宿に抜けて代々木公園へ入った。
 ここの桜もなかなかのものだが、御苑にはかなわない。ここは花の下での憩いの場所なのだ。すべての桜木の根本には、びっしりとシートが敷かれていた。まだ昼前というのにすでに盛り上がっている若者集団もいくつかある。
 昔ながらの花見風景も悪くないな、と思いながら、やおらベンチから腰を上げて家路についた。

 途中、ある庭にひっそりと咲く枯れかけたような桜の老木が目に入った。空き家なのか、荒れ果てた庭の中で蔓草に絡まれていたが、まばらながらもきちっと花をつけている。「今年も咲きましたよ」としゃがれた声で囁いているような気がした。
 ふと、あと何回花見が出来るだろうかとわが身のことに思いが及んだら、この老木がいとおしく感じられた。

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